木曜日。午前中は登園!歩く

夏休みにお友だちと会える登園日ありがたい笑い泣き



英語時間ニコニコにっこり

2時間くらい。カウント忘れた。





幼稚園からは決まった宿題はなく、


お家で決めた課題をやってきてね!


なので去年の感じだと

自由研究の大作をもってくる年長さん、年中さんから

夏休みのお手伝い記録だけの家庭までさまざまなひらめき





わが家は、絵本絵日記を始めました!






お家にある絵本、図書館から借りた絵本。

好きな絵本一冊を選んで、1日1冊記録。






この夏、ワークや夏期講習的なものも参加してるけど
もっとこう何か......。



この本や、これまで読んだ幼児教育、学校教育の本をふまえて真顔





もっと創造的かつ科学的な.....。

上のダイアン先生の本でいう、

テキスト分析、質疑、分析と統合、スピーキング、
ライティング、ソースの使い方。


実社会で生きるために必要な、
教科学習とは土俵が違う能力を育てたい。



例えば、高校と大学。
授業で取り扱う学び方、考え方は全く違う真顔

高卒で働いて、おじさんになって大学に入り直した人を知ってる。

その人が言ってたのは、具体と抽象、演繹と帰納
そういう考え方は高校では習わなくて、大卒の人の言うことが分からなかった。
不惑を過ぎて大学で学び直して、世の中の見方が変わったと。



うーん真顔
私がよく思うのは、科学的思考を履き違えてる人は多い。
題材が理科っぽかったら科学とか、
数学使うなら科学というわけでもない。


 

夏休みの課題🍉
せっかくならその辺を丁寧に、ちょっとやってみたい真顔

そこで、絵本絵日記というのを考えてみた。


5歳のゆうじろう立ち上がるレベルだと、


①ゆうじろう、絵本を選ぶ
②好きなページを選ぶ ←大事ほんわか
③そのページが何故好きか、口頭でママに説明するほんわか
④その話し言葉を、ママが書き言葉に直す ←大事👱‍♀️
⑤ゆうじろう、そのページを見ながら絵を描く←大事ほんわか
⑥ママ、文章を書く。ゆうじろうは絵を糊で貼る。
⑦平仮名で書いたその文章をゆうじろう、読むほんわか





5歳のゆうじろうレベルに合わせてます。
この合わせるのがめちゃめちゃ大事だと思う。


大事なポイントは、
全体の感想ではなく、細部をピックアップする(②)
ある1ページ、部分に注目する。

全体を見ると、ハッピーエンドに決まってます。
全体の感想を言わせると、

「〇〇になって良かったと思った」

という、没個性のありきたりな読書感想文になってしまう真顔


さらにいうと科学的思考は、細部の積み重ね。

エセ科学は全体的にはそれらしくても、細部、部分に綻びがあったりする。
論理が飛躍していたり、トートロジーになっていたり。


だから5歳のゆうじろうには、ある場面、ある一瞬に注目させて
何故そこが好きなのか話してもらう。


そうすると、

ほんわかここはー、ハリネズミがー、あ、そうそう

と話し言葉でしゃべる。

その言葉を書き言葉にする。大人が真顔(④)

ここも私のこだわりで、



デレデレうちの5歳はもう文をスラスラ書けますわよ💕

という場合もあるだろう。


けど、声の文化文字の文化の違いをふまえると、
文字で書く方が感情が薄っぺらくなる。無機質になる。


子どもは語彙も文法も乏しい。
思うまま書くのは訓練がいる。


絵本からいろんな感情が湧いても、文で書けと言われると
使える文章が少ない。

だから最初から文章を書かせるより
喋らせたコトバを、書き言葉に慣れた大人が整えるのはどうだろうか?うーん


もし本人に文字を書かせたい場合は、
大人が整えた文章を、絵日記に子ども本人が清書するのが良い気がするうーん



ここは私のこだわりだけど、
コトバの原型は、声だ。

自分の声で何を言うかは大事で、
自分の考えや感情を、自分の声で自己表現する権利、自由は全ての人にある。
歌なんかがそうだ。

だから、私は「こう言いなさい」的な指導がいけ好かない。自由を侵害された気がする。



一方で、文章の原型は伝記と法律だ。
多くの人に未来永劫変わらない形で内容を広めるために文字が残された。


だから、
他人に分かるように、ある一定のルールは必要だと思ううーん

そんなわけで、自由に喋らせる。
喋った内容の因果関係や前後関係を整理して、接続詞で補って書き言葉に
大人がする。

その文章を、子どもが書き言葉の手本にする。
その言葉は作文練習のドリルやワーク、教科書とは違う。
元々は自分のコトバだほんわか

自分の喋ったコトバがカッコよく仕上がるのは、イヤじゃないみたい。





さらに、そのページを見ながら絵を描くほんわか(⑤)だけど、

これは絵の得意、不得意よりも
発達年齢を考慮したい。



もし小学校中学年以降なら、

絵本の絵を見て、模写することより、

後日談を想像して絵を描く。

そんなチャレンジがいいと思ううーん


逆に3歳なら絵本の登場人物なり場面なり、

好きに描く

のがいいと思ううーん

物語に没入して。
ゆうじろうもそうだった。現実と絵本の世界がつながっていた。




5歳の息子の例だと
絵を描くことは副次的産物で、
目的は科学的思考をつけさせること。


5歳は、振り返り、ができる。
過去を振り返って、良かったこと、悪かったことを考えられる立ち上がる

でも、どの時点を振り返るか?を見極めるチカラがない驚き
それが5歳。


お友だちがオモチャ貸してくれない!あの子優しくない怒り絶交だ!!

と年中さん毎日ケンカ三昧驚き


その時、親や保育者がすることは

「でも昨日はコケたら大丈夫って、そばに来てくれたよね?」
「春は仲良く遠足行けたよね?」

事実を振り返ってみたら、やっぱり2人は仲良しなんじゃないの?と。


だから、ゆうじろうに育てたいチカラは、
どの事実、どのデータをキャッチしているのか自覚すること。


大人でもあり得るけど
エビデンスは?泣き笑い
というやつです。


そんな当たり前のこと?って言われそうだけど、
私、ゆうじろうの話を聞いていて
5歳、話す内容がどんどん飛躍してくる🤣脱線する🤣


だから、「事実」それに対する「自分の気持ち(考え)」
区別させたい。


その時に掴めない現実の出来事をかく絵日記より、
スタティックな絵本の1ページの方が、子どもが分かりやすい気がする。


例えば英語圏だと、show &tellがある。
「見せる」のは大事で、
「この人形🧸」が「お気に入り」です、という客観的な証拠🧸(人形)を見せて、主観を述べる。


ただ皆んなの前でスピーチする練習、
お互いを理解する練習というだけじゃなく、
show &tellには、そういう側面もあると思ううーん


そういう理由で、5歳には「客観的に分かるどの場面」に対して
「主観的にどう思ったのか」
これを狙いとして、絵本絵日記を作っていますにっこりにっこり





さて金曜日の本日は.....

ゆうじろうのサマーホリデー🌻!!ニコニコ飛び出すハート飛び出すハート飛び出すハート


早起きして、本日公開の


ガッチャードブンブンジャーの映画

観てきました!目がハート目がハート目がハート目がハート


スマホーン連れていった



また今度かきます。