(2014年2月25日投稿 4/4)

 

「神とは」の答えが失われ、学問はそれを見いだそうとし、でもわからず…

 またわからない方が都合が良い人も多く声高だから、いつの間にか「神とは決まったものではなく人

それぞれが思い見いだすもの」とかになり…

「神とはコレだ」なんて言ったら戦争を引き起こす悪党扱いされる世の中…

 まさに上下が入れかわった世の中になってしまった。 

 

 答えが出た今、コレをみて「横向きに置いて見ても

良いんじゃない?だからコレは上下ではない」とか

「私はこのお腹のバッテンの所が心だと思う」とかは許されない。

そしてその事を「知らなかった」のと

「言われたくない、決まっていると言われるのが嫌」と言うのは罪の大きさが違うはずである。

是とするべき事ではないと思う。 
そもそも、持論を正当化する為にコレを利用しようと組み立てられたヘリクツではないだろうか。

 

他にも、後々問題が起きないように「言っておかなければならない事」を説いて下さっている。沢山書いて下さっている。 
御本は一度読んで知識として身につける位ではでは

全くもって不十分だから、来生でも読めるように、

ぶつかりやすいように世の中に沢山残っているのが良いのではないかと思う。

 

 

 

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「神とは」「宗教とは」「聖人とは」の答えが失われ、長〜い年月の中で、人々が「神とはこういうものだと思う」と思ってきたもの…それは言い伝えを基にしたものもあったり、自分の望む「神像」だったり…聖人に至っては人々が選ぶものになってしまっている。

 

でもそこに、本物の「神」が「聖人」が御出現下さり、本物の「宗教とは何か」をお説きになっている。

人間が持っている「神・宗教・聖人」像を定規として計れば、あのお方はただの「変なオジさん」、

太言霊と太祝詞の教えは、そのオジさんが言い出し始めた新興臭教と言う事になるだろう。

でも、あのお方が本物の聖人で、本物の神とは何か、本物の宗教とは何か、をお説きくださっているとすれば、人間がこれまで持っていた「神像」「宗教観」が間違っていた、数千年前の教えだから正しく伝わっていなかった、という事である。

 

そして、大聖は、この太言霊と太法図が本物の

神の宝、根本原理であると人々に信解させるべく、 懇 々 とお説きくださっている。