クローバー勉強するかしないかは子ども自身の課題、親や先生は「勉強しろ、こんなことではダメではないか」という。そんなことを言われて嬉しくないと思うのは、土足で自分の課題に踏み込まれたと感じるから。

クローバー対人関係のトラブルの多くは、人の課題に土足で踏み込むこと、踏み込まれることから起こる

哲学問答9:課題の分離について

「哲学人生問答」(岸見一郎)より

本日は「課題の分離」第二弾です。

これは前にも書きましたが、ずーーーーっと同じところを行ったり来たりしていて、どうにもこうにも上手くいかない。悩ましさがついて回ります。

 

親の立場になって考えると、子どもが勉強しないという問題は深刻です。子どもの課題といっても、早々割り切れるものではありません。しかし、ただ単に「勉強しなさい」と言っても解決にはならないことが明らか。

 

親としては、子どもの将来や成功を心配し、助言や指導をしたくなるのは自然なことなのですが、子どもがその助言を受け入れない場合、理解されない苛立ちや無力感、フラストレーションを感じます。

 

この場合、「何も言ってはいけない」というアドバイスは、少し極端に感じてしまいます。親としては、子どもに向き合い、コミュニケーションを通じて問題を解決したい。そこで重要なのはどうアプローチするか。

 

「勉強しろ、こんなことではダメではないか」というだけでは子どもの反発を買っても共感を得ることはありません。「同じことをし続けても同じ事しか起こらない」のです。


親として新たなアプローチや方法を模索する契機として、子どもが変わらないのであれば、親自身が変わることで、新たな可能性を模索することも必要か。そんなことを考えさせられる文章でした。