世の中の人たちにとって、天才とは「存在するともの」というより、「存在してくれなければ困るもの」なのだろう。天才とは「努力の結果必ず至るもの」だとするなら、みんなは「凡人ではなく、ただ頑張ってないだけの人」になってしまうからな。
君はとにかく頑張ることを避けようとしているじゃないか。もしかしたら、君は「成功したい人間」ではなく、「他人より楽をして、他人より優れた結果を手に入れたい人間」なのではないのかね。
(四つ話のクローバー 水野敬也)より
この言葉は心に深く突き刺さります。天才を「神様から特別な能力を与えられた特別な人物」と定義するからこそ、自分に特別な能力が与えられていないことに納得し、「結果を出せないのは当たり前」と受け入れることができるんですよね。
でも、この前提が覆されると、自分は凡人ではなく、「ただの頑張っていないだけの人」として自覚せざるを得ません。そんな状況はプライドを傷つけ、おまけに逃げ場がない状態であり、なんとも耐え難いものですね。「頑張れない自分」に向き合うことは本当に苦しいものです。
「他人より楽をして、他人より優れた結果を手に入れたい」という欲望を持つことは決して非難されることではないけれど、少なくても「凡人であることを自覚して力を出せる自分」でありたいものです。