デビューは軽い気持ちでした。
本を読み、基礎体温を調べて
排卵日を探ってみたりしたけれど
もしかしたら素人の母さんが読み間違えているかもしれないし
一度センセイに聞いてみようかなと。
そんな「ちょっと相談」のノリで
「アドバイスを聞いて安心したらすぐ妊娠できる」と
思っての受診でした。
入籍して何ヶ月もつけていた基礎体温や
基礎的な検査、問診
から
「排卵障害」「黄体機能不全」などが判り
まずはリズムを整えるよう
排卵誘発剤の薬を飲むことになりました。
ちょっとした頭痛や腹部の違和感はあったものの
「これで妊娠できる
」と思い
落ち込むよりはウキウキした気持ちでした。
ところが数ヶ月続けても結果は出ず
色々なストレスからのプレッシャーにより
飲み薬だけでは排卵すら出来なくなり
HMGという排卵誘発の注射も使用することになりました。
ストレスが強すぎると
薬を使っても効かないなんて。
自分自身の焦りや舅姑からのプレッシャー、
当時住んでいた社宅の奥様たちからの嫌がらせ…
八方塞の状態で、身も心も限界に近づいていました。
社宅の奥様たちには
子どももおらず仕事もせず
毎日スカートで出かける母さんの姿が
「旦那の金で遊びまわっている」と映ったようです。
いま思うと、育児真っ只中の奥様たちは
日々ジーンズで髪を1つ縛りにして
次々と汚す服の
洗濯に追われ夜中も授乳で睡眠不足、
そんな生活の中に悠々と無職を楽しむ嫁に見えた母さんが
羨ましいような感じだったのでしょうか
薬の副作用に耐え
毎日卵胞の大きさを超音波でチェックするため通院
わずかな診察時間も保険がきかず
1馬力となった我が家には高額に感じ
少しでも質問の時間を多くとりたいと
着替えの手間を最小限に抑えるべくスカートを履いたことが
周りにとって全て腹の立つ対象となったらしく
すること全てが悪循環に巻き込まれるような感覚でした。
インターネットや図書館で不妊に関する調べ物に没頭し
不妊サイトの掲示板で仲間を見つけては
情報交換
をしたり励ましあったり
実家や友達には心配をかけまいと
治療の話は一切打ち明けずの日々でした。
色々と調べていくうちに
「受精障害」という文字が目に入り
もしかしたら母さんたちも、という嫌な予感がしました。
そして治療を始めて半年以上が経った頃
改めて今後の治療について医師と話し合うことを希望しました。