生死を度外視して、「何かを成し遂げる心構え」こそ大切! | あの街この町 (あの日あのとき)

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その場所とその時の思いが伝わってくる一枚の写真。
《フィレンツェへ行こう》フィレンツェでルネッサンスの彫刻や絵画を楽しみ (ミケランジェロ、ダヴィンチ、ラファエロを目に焼き付ける)ナポリでカンツォーネにワイン、そして、ビールを飲みながら昔ながらのマルゲリータピザを頬張る、人生は冒険。

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人間は必ず死んでいく存在。それはあまりにも孤独で淋しいことだ。現実に死は紛れもなく間違いなくやってくる。夢でもなく幻想でもなく人間はこの世から消えていく存在だ。人間が不老不死を求め、生命の永遠性を求めた歴史はあまりにも本然的な感情から生じたと言える。そしてまた、限られた時間を精一杯楽しく生ききるのも自分自身だ。「考える葦」と名づけられた人間がこの世に生を受け「存在の証明」をするためにやるべきことがあるとすれば、「肉体的な永遠性」ではなく心の「絶大なまでの永遠性」を残すということだ。そしてそれはまた善に貫かれていなければならんだろう。
ふと足元を見れば死も怖れない・あらゆる苦悩もものともしない淡々とした人間の生きざまもあるんだということに気づく、人間が嘆き悲しんでいる全ての事柄は人間の本来のありようであるのであり自らを卑下し軽しみ傷つけることはないのだということに気づく、自由に悠々と飛び回って淡々と死んでいくというのが良いと気づく、苦悩と苦悶と苦痛と、どう付き合っていくかに人生の面白さが具わっている。最近そう思った。次に先人のことばを借りた。

(松陰のことば)
 『死は好むものでもなく、また、憎むべきものでもない。世の中には、生きながら心の死んでいる者がいるかと思えば、その身は滅んでも魂の存する者もいる。死して不朽の見込みあらば、いつ死んでもよいし、生きて大業をなす見込みあらば、いつまでも生きたらよいのである。つまり小生の見るところでは、人間というものは、生死を度外視して、何かを成し遂げる心構えこそ大切なのだ。』