ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

わたしというソンザイノショウメイ

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

【私という人間について】
 
ちょっとある方に感化されて、

振り返ってみようと思う。
 
一人っ子で、

周りに同じ年頃の子供が居なかった私。
大人とのやりとりはまだ出来たが、

同い年の子と何を話せばいいのかが

分からなかった。
 
誤解を受けても、

それを解くだけの言葉を

持ち合わせてはいなかった。
 
そして、

一人っ子故の超絶マイペースで、

周りについていけない。


いや、そもそも
「周りと合わせなければいけない」

という概念が無かった。
 
運動神経も悪く、

協調性も無い私は、

運動会とか集団で、

みんなで力を合わせて何かをするという事が

とてもニガテだった。
 
本当に、

どうすればいいのかが分からなかった。
そして、

どうすればいいのかを

誰も教えてはくれなかった。
 
今から思えば、

別に大したことでは無いのかもしれない。
けれど、

当時の私にとっては、


「あー、ここにいるのが

私じゃなくて他の誰かだったら、

もっと上手くやれるんだろうな」


と、劣等感とコンプレックスを感じるのには

十分な出来事だった。
 
「自分さえ居なければ」


この思いが

まるで遅効性の毒のように、

じわりじわりと私を侵食していった。


そして、

その思いをそこから

25年以上引きずる事になる。
 
幸いな事に、

勉強はやらなくても出来た。
授業の内容は、

授業中でほぼほぼ理解出来た。
正直、受験勉強なんて

浪人した時しかやったことが無い。
試験で落ちるなんて、

考えたことすら無かった。
 
塾に行ったところで

私より成績悪いやつがゴロゴロいる。
じゃあ、

わざわざ金を出して

行く必要なんて無いじゃないか。
本気でそう思っていた。
 
それでもまだ、

中学生の途中までは、

それなりに友達も居たし

ある程度普通にしていた。
 
けれど、ある時。
女子特有の人間関係に本気で嫌気がさし、

人間不信になった。
 
別に今から考えれば

「暇だなコイツラ」で済むようなこと。
だが、当時の私にとっては

物凄くショックな出来事だった。
 
「もう、人と関わるのはやめよう」
本気でそう思い、

そこから高校を卒業するまでの約五年間、

クラスではほとんど誰とも喋らなかった。
 
それでも不登校にならずに

学校に行くことが出来たのは、

中高と続けていた吹奏楽のお陰。
音楽を奏でている時だけが、

本来の自分を出せる場所だった。
 
一匹狼で、

何を考えているか分からないやつ。
それが私に対する印象だっただろう。
 
そんな中でも、

私に話しかけてくれる人は居たし、
仲のいい先生も居た。
 
けれど、

それは救いにはならなかった。
何故なら、

私が一番見下していたのは、

「自分自身」だから。
 
「消えてしまいたい」
「もう、どうとでもなればいい」
そんな事ばかりを考えていた。
 
ほとんど

いじめのターゲットにならなかったのは、
ひとえに成績が良かったからだろう。
勉強のことを引き合いに出せば、

そんなやつらを黙らせることが出来た。
 
唯一、部活を続けていたお陰で

青春らしい思い出もあるが、
もしそうで無ければ

私には何も無かったかもしれない。
 
とにかくひたすら

自分の世界に入っていた私は、
とにかく本を読みまくった。
お硬い内容のものからラノベ、

ちょっとマニアックなものまで、

あれやこれやと読みまくった。
 
ゲームもひたすらにやりまくった。
朝の6時までゲームをして、

1時間だけ眠り、

学校に行くなんていう日もザラだった。
 
何しろ、センター試験の前日に

ポケモンクリスタルがやりたくて

ゲームボーイカラーを買いに行くようなバカだ。
 
そんな舐めた姿勢では、

希望していたところには点数が足りず。
結局、一浪してもそこには届かなかった。
 
予備校に行き、

1年間自分ととことん向き合ったことで、

かなり成長出来たところはある。
そして大学に行き、

そこでは友人と数々の楽しい思い出を作ることが出来た。
 
けれど、

いざ社会に出るとなると、

自分が何がしたいのかがさっぱり分からなかった。
何故なら、

その希望の学部に行けなかった時点で、

たった一つしか無かった選択肢が無くなってしまったのだ。
 
結局紆余曲折を経て、

地元の中小企業に就職した。
そして、それまで人との関わりを避けてきたことで

コミュニケーションが全く取れず、物凄く苦労した。
 
自分も含む、世の大人たちよ。
社会に出たら勉強が出来ることよりも

ちゃんとコミュニケーションが取れることの方が

遥かに大切なんだという事をちゃんと教えてくれ。
 
そして、お金を稼ぐということ、

そして、その方法を。
 
コミュニケーションで思いっきり躓き、
「自分が言うことや行動で人がどう思うのか」
という事を初めて考えたのが、

20代後半になってから。
 
何とか体当たりで

コミュニケーションの取り方を学び、

今では自分の居場所を確保する事は出来ている。
 
けれど、私の中でずっと
「こんな何の価値もない自分がここに居ていいのか」
という問いには答えが出せないままでいた。
 
何かあれば
「ここに居るのが私じゃなければ」
「私なんて何の価値もない」
「居なくなってしまえれば本当に楽なのに」
そんな事ばかりを考えていた。
 
そこから色々な経験、出会いを経て。
今、確かに私はここに居る。
 
居心地のいい場所、友人。
色々こじらせまくって

面倒くさい自分も自分の一部だと

受け入れられるようになった自分自身。
 
存在することに理由なんていらない。
ただ、私は確かにここに居るのだから。
 
と、頭ではちゃんと思っている。
けれど、

心の奥底には「消えたい」と思う自分も、
全てを破壊してしまいたいと思う自分も

確かに存在していて、
事あるごとに表に出てこようとする。
 
私はずっと人嫌いだと思っていた。
嫌な思いをするくらいなら、

一人でいいと思っていた。
 
目立ちたがり屋のくせに、

目立てない自分が嫌で。
めっちゃ賢いと思っているけど、

本当に行きたいところに行けなかった上に、

あれこれ考えすぎて失敗しまくる、

こんな中途半端な脳みそなら

いらないよと思う自分も居て。


色々出来るけど、

どれも中途半端な自分が嫌で。
誰の役にも立てない、

どこにも行けない、

何者にもなれない自分が嫌で。
 
以前は、

こんな思いを消し去りたいと思っていた。
いっそのこと、

こんな事を思ってしまう存在ごとなく

なってしまえばいいんじゃないか、

そんなことすら思っていた。
 
 
正直、

今でもその思いが

完全に消えたのかと言われれば、

消えてはいない。
そして、今後も消えることは無いだろう。
 
でも、それでいい。
そんな思いを抱えて、私は生きていく。
 
私には、

こんなこじらせまくった面倒くさい私を

受け入れてくれる人が居る。

場所がある。
そして何より、

私自身が私を生きると決めた。
 
これを読んで下さっている方の一人ひとりが、

私の真っ黒で色が無かった世界に

彩りを蘇らせてくれた恩人であり、
これからも悪ふざけに

巻き込み巻き込まれる大切な友人であり、
私に道を示してくれる先生でもある。
 
だから、もし。
かつての私のように、

「自分には何の価値もない」と

思っている人がいるのであれば。
 
そう感じた思いは

事実だから大切にすればいい。
けれど、顔を上げて、

一歩外に出てみて欲しい。
そこにはあなたを待っている人が、

必ず居るから。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

以上は、

フェイスブックに投稿した全文。

私にとって、

かなり長い間世界はモノクロでした。

あれこれ迷走しまくって、

8桁使って破産しちゃいましたし(笑)

 

その頃は、

マジで自分がクズすぎて嫌いすぎて。

もう、何というのかな。

「この世の中から存在を消す価値すら無い」って

思ってました。

 

ただね。

自分から見るととんでもない失敗、

もう取り返しのつかないような失敗でも。

ちゃんと、取り返すことは出来る。

 

そもそも、それは本当に失敗なのかい?

だったとしても、それを悔いていて

あなたの才能を発揮できない方が

よっぽど社会にとって悪ではないか?

 

そんな思いから、

私はセッションや鑑定をやっています。

「ありのまま」という言葉は

正直あまり好きじゃない。

だって、

鼻毛ボーボーの人に

「付き合って下さい」って言われたら

おととい来やがれって思うでしょう?(笑)

 

光も闇も、

美しさも醜さも、

全て自分自身。

 

そう、心の底から受け入れることが出来た時。

一体何が起こるんだろう?

 

それを、一緒に見つけてみませんか?

 

*メルマガより転載