人が人を理解しようとする時。忘れてはならないことが2つあると私は思う。
 
まず1つは、人は「動物」であるということ。
いくら頭で考えようとも、抗えない欲求、恐怖がある。
というか、むしろ頭で理解しようとすればする程ずれていく。
そうなるとどうなるか。
 
意識の上に上がらない、自身の「奥底」が「分かってくれない」と拗ねる。
そして、その欲求を満たすために様々なトラブルを引き起こす。
いわゆる「インナーチャイルド」と呼ばれるのは、この一種。
潜在意識と顕在意識のディスコミュニケーションという方が分かりやすいだろうか。
 
分かりやすい例として、「恐怖」を上げてみよう。
人は生き物である以上、原始的な恐怖からは逃げられない。
 
襲われそうになれば全力で逃げるし、あまりに強い恐怖だと「固まる」という防御反応を示すこともある。
じゃあ、恐怖の元は何なのか?
 
これは自覚するのはとても難しい。
「だって怖いんだもん」としか言えないものが、あなたにも一つや二つあるだろう。
そして、それを自覚させられた途端、人は恐怖で何も出来なくなる。
 
私は軽い高所恐怖症で、脚立に上った後に下を見るとスーッと血の気が引いていくのが分かる時がある。もしくは、膝ががくがくと笑い出す。
 
ここに対して臆病だの何だの言われたところで、気合や根性でどうこうなるものではない。
というか、んなもんでどうにかなるんだったら大抵の病気はそれで治ってしまう。
 
つまり、そこには「理由」など存在しない。
それを「何故?どうして?」と掘り下げようとすればするほど人は追い込まれていく。
そして、余計に心を閉ざし、殻に閉じこもる。
 
ここに対して直接言語でのアプローチをしようとすると、かなりの専門知識が必要になるし、効果が出ないどころか逆効果になる場合が多い。
 
もう一つ例を挙げてみよう。
蛇が怖い人が「これも慣れるためだからとりあえず触ってみろ」と言われたら。
相手への怒りしか湧かないだろう。
だからこそセラピーのような専門的な治療が有効になる。
 
で。
本当に深刻なものに関しては専門家の力を借りて欲しいが、今回の主題はそこではない。
 
「人には、他人には理解出来ない恐怖が存在する」ということ。
これを知るだけで、相手への理解と共感、そして無理なものは無理と寛容さを持つことが出来る。
恐怖は「あって当然のもの」。気合や根性、性格でどうこう出来るものではないのだ。
 
 
そして、2つ。
「相手はあなたと対等の存在である」
ことを絶対に忘れないこと。
 
どんな才能あふれる人でも悩みが無い人など居ないし、何かあれば落ち込む。
というか、恐らくそういう人の方がなまじ頭が働く分、あれこれ考えては落ち込むサイクルを繰り返しやすい。
同じ「心」を持った人なのだ。
だからこそ、相手がどんな実績を持った凄い人であろうと、自分から見れば格下に感じる相手に対しても対等に接する。
これが大前提。
 
そして、一方的に相手に自分の考えを押し付けることはあってはならない。
それをすれば、相手のシーソーが重くなり、傾いてしまう。
こうなると、対等なコミュニケーションは図れない。
 
また、逆に相手の許可無く「あなたのためを思って」と負担を軽くしてもいけない。
これだと逆にあなたの方が重くなり、シーソーが傾いてしまう。
ヒーリングとかリーディングでも相手の同意が必要なのはこれが理由だ。
 
「小さな親切大大大大大迷惑」ということだ。
 
そして、何より。
別にあなたが助けようが助けまいが、あなたの目の前の人は自分の足でちゃんと立てるのだ。
だからこそ、哀れむとかマウンティングとか、そんなものは一切不要。
 
逆に、変な崇拝やゴマすり、おべんちゃらも不要。
ただただ、「存在に対するリスペクト」があればいい。
 
リスペクトについては、また別の文章で書いてみるが、まとめると。
 
1.人は根源的な恐怖を誰もが持っていることを知る
2.目の前の相手が誰であれ、対等でリスペクトされるべき存在であることを知る
 
これだけでいい。
というか、これが無かったらテクニックなんていくら学んでも効果は無い。
 
けれど。
これを知らなかったが故の被害はかなり大きい。
私なんて、どれだけの関係をこじらせ、敵を作ってきたか。
 
背中にある無数の傷は伊達じゃない。
お陰で「芯が一本通っていそう」と褒めて頂いたので、経験は無駄ではない。
 
が、、、!!!
もうちょっと上手くやれただろう、過去の私よ!!!
 
と。
穴があったら入りたくなるのも、また動かしようの無い事実なのである。
 
以上。
論文風から始めてエッセイ風に終わってみた。