【生きていることの充足感は必要か?】

 

そんなものは必要ないんじゃないか、とふと思った。
というのも。
「希望に満ち溢れていようが絶望のどん底に居ようが、生きていることに変わりはない」からだ。

 


 
ここの所気力が湧かず、欠乏感だの渇望感だの何かを楽しみたいという思いがまるで無くて。生への渇望も無く、死への恐れも無く。
 
じゃあ、何もやらずにグダグダしているのかといえば、新しい企画を立ち上げ、明日からのオンラインサロンへの構想もしていて。
今後の展開を色々と考えてもいる。
 
パートナーが欲しいという想いもあるし、当然欲求不満もある。
音楽を楽しみたい、ギターがもっと上手くなりたい。
ボルダリングやスキューバ、これまでやったことが無いことをやってみたいという想いもあるし、最近始めたばかりの刀剣乱舞でレベル上げをガンガンやっていきたいとも(笑)。
色々な方にドンドン会いに行きたいし、会いに来て欲しいとも思う。
 
これまで何かを始める時にはモチベーションを上げなければならなかったのが、それも無く。ただ淡々とこなすことが出来ている。
そして、こなせなければそれはそれで焦りも無く。
眠たければ寝るし、起きたければ起きている。
歌いたい時は歌い、笑いたい時は笑う。
けれど、心の奥底はずっと凪いでいる。
 
 
あーーーーーー、これが「ある」ということなんだろうなぁ。
意識を向けるまでもなく、ただ、そこに「ある」自分を知っている。
 
何だろう。
36歳の誕生日を迎えて数日。
この数日で、一気に何かの理解が進んだ気がする。
 
それはある方の同人誌のお陰なのかもしれないし、人生というか在り方そのものを根こそぎ変えてしまうような面白いプロジェクトを覗き見しているからなのかもしれないし、自分自身への問いかけが変わったからなのかもしれないし、これまで全く自信が無かった分野に根拠の無い自信が加わったからなのかもしれない。
 
正直、理由なんて分からない。
けれど、理由が分かるものは、その理由が無くなれば簡単に失われる。
 
そして、もう一つ言えることがあるとすれば。
もう、「生ける屍」にはならないだろうということ。
 
何故なら。
何をしても、しなくても。
私はここで確かに「生きている」のだから。
 
満たされたいという思いの裏には「満たされない」思いがあり、
幸せになりたいという思いの裏には「今は不幸だ」という思いがあり、
生きたいという思いの裏には「生きている実感がない」という思いがある。
何かを求めれば「無い」にフォーカスしてしまう。
 
別にポジティブに生きなければ充実感が得られないわけじゃない。
明るくなければ人に好かれないわけじゃない。
無理に楽しいことを探さなければ楽しめないわけじゃない。
色気が無ければモテないわけじゃない。
 
あなたがこの世に存在していて、この文章を読んでくれて、今私と関わってくれている。
それは、まぎれもない事実。
 
そして、そんな私ともっと関わりたい、考え方を知りたい。仲良くなりたい。
 
そう思って下さった方は、オンラインサロンへどうぞ。
月3000円で、面白い化学反応が起きるかも。

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