テラ・イチゴ畑とグーズベリーの成長風景 | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

テラッテラのテラに美味い、テラ・イチゴの開花もピークとなり

花が散って結実間近のものも増えつつある、猫の額ファームの風景です。

イメージ 1昨年の日照不足と長雨の影響で

苗の密度は、1/3程度に減り

収穫量も激減するのではと懸念を

していましたが、一つ一つの

苗の生育が良くて花の数も多く

良い天候が続けば、テラ・イチゴは

栽培史上、最大の収穫量が

見込めるかも知れませんが

このところの天候が気になります。


無農薬天然米糠を散布したり、シジミの貝殻をパラパラと蒔いたりして

圃場の環境を良くするために、手間を惜しまず頑張る私ではありますが

その愛情がテラ・イチゴちゃん達に伝わってくれたら嬉しいと思います。

イメージ 2
花びらも散り、結実間近ですね。

花を観察していると、蜂やら

蟻やらが蜜を求めてやって来て

受粉の手伝いをしてくれていて

頼もしい助っ人達に感謝です。

また、風が強い日も多かったので

自然の力も借りての受粉ですね。

いつものように、実を大きくさせる

目的の、摘果は考えていません。

自然のまま、成り行き任せの自然栽培に、いつものように徹しようと

怪獣ズボラ農法で、今回もテラ・イチゴの収穫まで頑張ります。トホホ

イチゴが育てば雑草も育ちますから、頻繁に雑草抜きも実行しています。

そして、数年前に、屋外に移植をした、超高級、越冬テラ・葡萄の苗ですが

なんだか、完全に乾燥しているような手触りで、あら、死んでしまったのか?

なんて思って、うっすらと目に涙を浮かべてしまいましたが、ところがドッコイ

イメージ 3死んだようになり寝ていただけで

ご覧のように、新芽が吹いていて

思わず、おはよう~と声を掛けて

しまった私でありました。

食べた高級葡萄の種から

栽培を続けている、テラ・葡萄が

元気で生きていてくれて良かった。

今年こそは、葡萄の実を付ける迄

とことん成長をして欲しいです。


氷点下20度を下回る過酷な冬を乗り越えて、春になったら芽吹いてくれる

植物の環境適用能力と、その生命力は本当に凄いと思いました。

生命力と言えば、食べたグーズベリーの実の種から芽吹いてくれた

我が家の新しい生命、テラ・グスベリちゃんも、すくすく成長中です。

イメージ 4
園芸店でも売り出せるような

元気で立派な子苗に成長です。

室内栽培の観賞用とかには

棘がある植物なので向かない

かも知れませんが、室内で

育てるのも、なんとなく面白い

かも知れませんが、棘には

注意しなくてはヤバイでしょうね。



美人になれる実とか、ジャムにも出来る実として人気があるグスベリですが

あの甘くて美味しい実がなるまでは、2~3年と言われていますので

実が採れるまでは、先の長い栽培となりますね。トホホ

酸性の土で、危なく全滅させてしまうところでしたが、此処まで成長してくれて

本当に嬉しいですが、嬉しいニュースがもう一つ追加されました。

イメージ 5
死んでしまったグスベリちゃんの

蘇りとも思える新芽ちゃん達です。

発芽のタイミングが遅くて今になり

芽吹いた若芽ちゃん。

可愛い~ですよね、嬉しいですね。

折角生まれてきてくれた

この子達も元気に育てなくてはと

栽培意欲が沸々と漲りました。



開花が終わったテラ・サクランボは、大きな変化は見られませんので

今回は画像の公開は、割愛させて頂きます。トホホ

元々、自然が好きな性格の私ではありますが、昔ならば絶対に考えられない

家庭菜園ニストになっちまっているなんて、やはり、歳なんでしょうねぇ。トホホ

背丈を超えるような笹藪上等、ダニでも熊でも何でも出てきあがれ!と

血気盛んに山中に分け入り、山菜やら木の実やら、キノコを採取していた

行動力・機動力があった年齢は過ぎてしまい、体力の衰えを自覚しますので

野山を駆け回り山菜や木の実を採取していた、約1万年も平和な文化が

続いた縄文文化、その民達が、自然環境の変化に影響を受け難く手早く

安定して食糧を確保することが出来るようにと、選んだ道、管理農業を

主体にした、弥生人へと移行した時も、私のような、このような感じの

心境からだったのかも知れませんね。

良くも悪くも、人間は変化を好む動物なのか、変化を求める欲望心がある

動物なのかは知りませんが、食料を人間が全て管理して作るようになれば

生産性を上げる為に、働かない者を働くようにするために罰を与えたり

集団の場から追放をしたりして、食料に対する独占欲も同時に生まれたり

力のある者は、力の弱い者を支配して働かせたりと、歴史はどんどん変化し

自分が働かなくても金銭を与えたら、人が動くシステムを構築した人間が

どの段階の歴史で生まれたのかなんて、歴史書なんかも読みたくなるけれど

読んだところで、貧富の激しい、この世の中が変わる訳でもない訳で・・・

今度は、子供おもちゃ子供銀行券に対して、これはビットコインですなんて

嘘も言い続ければ本当になると言う、日本の諺のように、実践し言い続け

政府無用の金に似たものまで登場していますから、人間社会は面白いです。

原子力明るい未来のエネルギーと書かれた看板は、恥ずかしいので

取り外されたようですが、また再び、掛け直されてネオンで飾られ

照らされる日が来そうな日本国、あの妖怪中曽根の怨念なのでしょうね。

おわり