北海道産「うぐい」の名称を考える。 | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

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「うぐい」の持つ、臭い、外道、食用ではない、などの間違った潜在意識を消す為にも

新たなネーミングが必要である事は、以前の記事の中で考えたように、最早、必要不可欠

言うまでもない事であり、では、どの様なネーミングが良いのか考えてみる事にしよう。

ネーミングを考えるにあたり、広域としての北海道産の「うぐい」とし、季節に関係なく

通年流通量が変わらない商品としても、北海道内での地域の格差をなくす意味としても

以下の点に注意を払い。新たなる「うぐい」の名称を考えなくてはならないのだろう。

季節に結び付く季語、特定される地域名、特定の河川や海域、食べても不味そうな表現

誇大な表現、新鮮に感じない表現、釣りたくなくなる表現、等々を使うのは御法度であろう。

勿論、悪役を連想する名前も言語道断、御法度であるから、一郎などと使うのは論外であり

角栄などもロッキード事件を思い出すので駄目であろう。

また、だらしのない纏まりもない政治を繰り返している、影の番長が取り仕切っている組織

民主などを使うのも御法度であり、米軍擁護、日米同盟遵守、日米安保条約崇拝など

「うぐい」2は関係のない、変なことを連想してしまうので、全くもって駄目であろう。

名称は考え付かないが、キャッチコピーで考え付くのは、「およぐタンパク君」とか

「蘇ったタンパク源」とか、「小骨もパクパク元気な子」とか、「忘れ去られていた美味」とか

新たな名称は浮かばないが、キャッチコピーだけは出て来るのである。

「うぐい」は見た目もカッコが良い魚なので、イケメンを強調し「北海ジョニー」とか

「福山雅治もっどき」とか、若い女性や、若者にも受け入れられ易い事も重要かと思う。

大衆魚として売り出すので「うぐい」に、無理に高級感を持たせる必要はないとは思うが

安価で高級感も得られれば、日本国国民の心を大きく擽り、「うぐい」に対して馴染みが

早く浸透するのかも知れないので、重要なポイントなのかも知れないのである。

キングサーモン、トラウトサーモン、などは、如何にも高級そうであるし、鮭児と書いてケイジ

これも高級魚として市場に出ている訳だから、鯉科の魚をカッコ良く、しかも、高級感もある

名称にするには、どの様な閑雅になるのだか、どうしてもイメージが湧かないのである。

鯉の仲間だから、もじって「恋近」とか、「恋恋恋」恋の三連ちゃんとか、ロマンチックさも

漂わせるのも良いのかも知れないし、「福山雅治」+「恋」とすれば、グググッと寄せられる

消費者の層があるのかも知れない、「福恋」とか「雅恋」とか、「雅治恋」とか

鯉科であるからこそ、恋にちなんだネーミングも、じっくり考えてみるのも良いのだろう。

なんで、福山雅治に拘るのかは、自分でも良くは知らないが、おそらくは防衛本能が働き

憎き、政治と金にどっぷり浸かった、あの小沢一郎を頭の中から消すには不可欠なのだろう。

「必要悪」とか、「談合」、「口利」、「汚職」、「賄賂」、「独裁政権」、「独裁者」

ちょっと、小沢一郎の影が頭の中に浮かぶと、そんな文字しか浮かばなくなるのである。

友愛にちなんで、ママ献金とか、金持ちの母から政治家の子供に「子供手当の支給」とか

「うぐい」を政治、政争の具に巻き込むなど、不埒先晩、言語道断な行為なのである。

君が代、日の丸、そして「うぐい」があってこそ、日本国が国家として存続できるのであり

ある地域の教員達の態度は、正に、愚連隊と同じであると言っていた人がいたが、

同じ事が、この北海道でも行われているのか、なんとなく不安に感じるのである。

「うぐい」に未来を、「うぐい」に希望を、「うぐい」に夢をなのである。

「うぐい」に寄せるぐらいの、強い愛国心が大切であり、「うぐい」を貶す者は

最早、日本国国民である必要はなく、直ちに国外追放をすべきであり

小沢一郎と仲良く手を繋いで、日本国から直ぐさま退去して貰いたいのである。

「うぐい」を公平に扱わず、献金をした者だけを優遇するなど、言語道断であり

そう言う金に魂を売った者を、政治界に置いておく日本国国民が存在している事すら

全くもって信じられないのであり、党議拘束を掛けて法案を通そうとする、あの態度は

正に民主主義の日本国を愚弄している、国賊その侭の姿であり、西松献金でしょっ引いて

直ちに投獄するべきであろうし、あの侭で好き放題をさせていれば、日本国は正に

独裁者が全ての権力を握った、北朝鮮と同じ姿と成り果てる事であろう。

それが良けりゃ、そうしなさい、私は日本国が独裁者に乗っ取られた時には

人の心を失った、国民を奴隷として扱うような、独裁政治に対しては激しく戦うであろう。

天から、チェ・ゲバラの魂が私に憑依して、日本国を守る為に激しく戦う事だろう。

死してでも日本国を守る、そう「うぐい」を愛するように、日本国を愛しているからである。

北海道が独立国となった曉には、国旗には「うぐい」の姿を書き入れ青空に掲げる事だろう。

北海道にとって「うぐい」は、正に、救世主であり、市場に流通させる事が北海道経済を

支える為には急務なのであり、日本国政府の完全なる無駄な税金のバラ撒き政策に

救いを求める道産子の姿は、開拓で苦労をした先人達に顔向けが出来ない、恥ずかしい姿であり

「開拓の初めは豚とひとつ鍋」その言葉を忘れては成らないのであって、権力者の旗の下で

人殺しを伴う合戦で、領地を拡げていただけの、権力と暴力好きの内地の者とは全く違う所を

今、正に、北海道人達は彼らに知らしめるべく、粘り強い努力と根性、そして我慢があってこそ

自分達の土地をしっかりと守れるのだと、胸を張って凛々しい姿を見せる時なのであろう。

人の金に頼った政治、日本国政府の遣り方、政府がバラ撒く金に群がる国民達の姿

お釈迦様が天から糸を垂らせば、その糸に群がる人達で溢れかえり、自分だけは助かろうと

醜い心の者達の姿を、お釈迦様は天から見て、糸を、プッッと切ることだろう。

真っ逆さまに落ちて行く、多くの日本国国民は、正に血の池地獄にドボンなのであろう。

借金地獄に、いらっしゃいませ、地獄の一丁目にようこそとなるのであろう。

怒りは取り敢えず、おわり

「うぐい」の話は次回の記事に、つづく