麻生首相、民主・西岡氏と密会
麻生太郎首相は29日夜、民主党の西岡武夫参院議院運営委員長と
首相公邸でひそかに会談した。
衆院解散の時期を見極めるため、参院で審議中の臓器移植法改正案などの
成立の見通しを探ったとみられる。
首相が電話で参院の審議状況を尋ねたところ、西岡氏が公邸に出向いたものだが、
衆院選を間近に控えた時期に、首相が野党幹部と密会するのは極めて異例だ。
竹下内閣当時、首相は西岡文相の下で文部政務次官を務めたことがある。
(時事通信社)(2009/06/30-00:56)
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陛下のお言葉見直し「不適切」=参院議運委員長
10月23日14時42分配信 時事通信
西岡武夫参院議院運営委員長(民主)は23日の同委理事会で、
岡田克也外相が国会開会式での天皇陛下のお言葉の在り方の
見直しを求めたことについて「極めて不適切な発言だ」と批判した。
西岡氏はこの後の記者会見で「陛下のお言葉のスタイルについて、
私どもが政治的にあれこれ言うことはあってはならないことだ。
外相がどういう思いで言ったのか。
ちょっと信じがたい」と語った。
最終更新:10月23日14時42分
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参議院議員 西岡 武夫
生年月日 1936年2月12日(73歳)
出身地 長崎県長崎市
出身校 早稲田大学
学位・資格 文学士
前職 衆議院議員
所属委員会
参議院議院運営委員長
世襲 2世
父・西岡竹次郎
(衆議院議員、長崎県知事(任期中に死去))
母・西岡ハル
(参議院議員)
選出選挙区 比例区
当選回数 2回(衆11回)
所属党派 民主党(小沢グループ)
党役職 常任幹事(九州)
長崎県総支部連合会特別代表
会館部屋番号 参・議員会館542号室
1986年の総選挙で返り咲き。宮澤派に所属し、文教族としてキャリアを積み、
1988年、竹下改造内閣で文部大臣として初入閣。宇野内閣でも文相に留任した。
1989年、海部俊樹内閣で消費税の見直しが求められ、自民党税制調査会長の
山中貞則が辞任、後任の税制調査会長に就任する。
1990年2月には早稲田大学雄弁会の先輩で文教族仲間の海部の強い意向で
自民党総務会長に就任し、党三役入り。
幹事長は竹下派の小沢一郎、政務調査会長は安倍派の加藤六月であった。
のちに総裁の海部を含めた四人は自民党を離党し、新進党結党に至るが、
この時期にその強い関係ができたと思われる。
同年12月、党三役に加藤紘一を送り込みたい宮沢派は西岡に総務会長職の交代を求めるが、
これを拒否したため、派閥から除名された。
自由党 - 民主党(現在) [編集]
1998年1月、小沢、海部、加藤六月らと共に自由党を結成し、副党首に就任。
同年2月の長崎県知事選挙に党内の慎重意見を抑えて出馬するも落選する。
返り咲きを目指した2000年の総選挙では、自由党から出馬も落選する。
2001年7月、第19回参議院議員通常選挙に比例区(自由党)で当選し
国政復帰、党参議院議員会長、参院会派「国会改革連絡会
(自由党・無所属の会)」代表をつとめる。
2003年、民主党との合流が決定すると、当初不参加の姿勢を示した。
しかし最終的には参加を決断し、参院会派
「民主党・新緑風会」常任役員・顧問に就任した。
2006年、皇位継承問題で、皇室典範改正に慎重な立場を明らかにし、
党内の保守系議員を中心に「皇室典範改正を慎重に考える会」を
結成し会長に就任した。
2004年の年金未納問題の際には9年11か月間未納であったことが発覚した。
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参議院議員 西岡 武夫、父・西岡竹次郎の七光りで議員にねぇ~、なるほどです。
へぇ~っ、やっぱりね、所属党派 民主党(小沢グループ)なんだぁ
ほぉ~っ、あの時の、あの皇位継承問題で、皇室典範改正を慎重に考える会の会長に
はぁ~って感じの人ですね。
TV画面では良く見る顔でしたが、そんな人だったんだ、へぇ~っ
おわり