豚丼 | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

たかが豚丼、されど豚丼、全国へのPR効果が功を奏して、「豚丼の人気」が

十勝では、只今、絶好調の上昇中なのである。

十勝に入植した晩成社、そのリーダー、十勝の開拓の父と呼ばれている

「依田勉三」氏が残した言葉に「開拓の初めは豚とひとつ鍋」

正に、十勝に生まれ育った人ならば、知らない人がいない、とても有名な言葉かある。

豚肉はミネラルやビタミンが多く含まれると、当時から分析されていたのかは不明であるが

未開の大地に向かい、新に開拓をする土地に踏み込むのだから、現地の食料事情も未知であり

当面のタンパク源として、理想的な栄養補給の源として、人々と共に船に乗せられ、この十勝の

大地に上陸をして、原始の森を切り開く重労働を毎日行っていた、開拓の民達の命を守り続けた

命の源、パーワーの源になっていたいた、とても大切な食料なのであろう。

おそらくは、当時の調味料と言えば、塩に砂糖、味噌と醤油、日本酒、その程度しかなく

食事はとても簡素で、季節の山菜などを付け加えただけの、同じような食事をしていたのだろ。

そんな中、なにか、ご馳走で開拓民に、元気を付けなくては成らない出来事があり

その中に、豚肉を使い甘辛く焼いた「豚丼」の原型となる、調理方法が生まれたのかも知れない。

醤油に砂糖、酒を加えて、豚肉のスライスを焼くだけの、至って簡単な調理であるから

開拓の道具、鍬をフライパン代わりに使い、焼いたのか、それとも鉄鍋で焼いたのかと

疑問が湧いて来るが、おそらくは後者の、鉄鍋で調理されたのだろう。

その理由は、豚肉から出た肉汁が、醤油と砂糖、酒などのタレと混じり合い

美味い味を出さなくては、あの独特な風味のある、美味い豚丼のタレが出来上がらない

そんな理由からから、まず間違いはないのだろうと想像をするのである。

最近では、胡椒を振り掛けたり、何故か、グリンピースを乗せる事が流行っているらしい。

私に言わせると、砂糖と醤油、酒、豚肉以外を使い、「豚丼」メークする行為は

豚丼として呼ぶには相応しくない、邪道とも言える行為であり、それらが施された物は

最早、「豚丼」とは呼べる物ではなく、新ジャンルの「豚肉丼」に過ぎないのであると

何故か個人的な感情が強く出てしまい、激しく叫びたくなるのであった。

料理や調理は進化して行く物であり、形に拘る事はないのであるのだが、十勝で生まれた

「豚丼」に対する思い入れは激しく、「豚丼」の定義があやふやな侭で、豚丼が売れるから

ジャンジャンバリバリと、「豚丼」人気に乗って、開拓当時の調理方法を無視した

「豚丼」をメイクした料理店が増えてしまい、次から次に定義なしに、無法に売り続けていれば

十勝名物「豚丼」の姿は違う物に変えられてしまい、十勝の色が消えた「豚丼」になり

日本全国で「豚丼モドキ」が増えてしまい、いわゆる、ヨシタケのような者まで

「豚丼モドキ」を、高額な値段で売り出すような、十勝にはプラスにならない単なる金儲け

そんな世界が広がってしまうのであろうと、強く懸念をしているのである。

「豚丼」を、十勝の名物として、これからも長く保護をして行くには、料理業界で話し合い

「豚丼」の名称を使いうる事が出来る「掟」「定義」を定めるべきなのだと、強く思うのである。

観光という物は、その土地に来なくては味わえない、独占的な魅力がなければ成らず

何処でも、誰でも、自由に気軽にでは、やがては人が集まらなくなり、パクリ者が大勢現れて

金儲けの為だけに翻弄し始め、その者達を長い時間、完全に放置をし続けてしまえば

やがては、「豚丼」の本場は何処であったのかも、人々に忘れ去られてしまい

十勝名物「豚丼」の名は消えるような、最悪な事態を招く結果になるだろう。

何故にブランド化が必要なのか、何故に「豚丼」は十勝の名物なのかと言う

断固たるポリシーを地元の人達が守って行き、それを商業や観光の目玉として進めなくては

せっかく全国的に人気が出て来た、数少ないチャンスも、紛い物に占領をされて

地元の産業として活かせずに、忽ちの内に消え去ってしまい、新ジャンルの「豚肉丼」が

多くの人々が呼ぶ「豚丼」へと、大きく変化してしまう事であろう。

松阪牛・近江牛等々、その土地で育ち出された物でなくては、価値が出ないのだから

十勝名物「豚丼」を、今の内から守らなくては、いけない時期に来ているのかも知れない。

「豚丼」の命は、タレであり、タレを作る秘技は、此処では秘密にしておこう。

豚丼食べ歩き街とか、北の屋台に続く、新名所を作る為にも、十勝名物「豚丼」を

十勝の観光と商業の起爆剤として、大きく成長させて行かなくては成らないのであろう。

「依田勉三」氏が残した言葉「開拓の初めは豚とひとつ鍋」重みのある偉大な言葉から

十勝名物「豚丼」を考え、歴史を守りながらも、その歴史を生かしつつ、古き物も大切に残し

地域の産業と商業を考えると、このような妙な記事が出来上がってしまったのである。

名物の名をかけた、同じフィルド同じ条件の下で、正々堂々と調理人の腕一本だけで

勝負が出来る統一された条件の中の、商業の世界があっても、私は良いと思うのである。

十勝にも「吉野屋」が進出して来て、牛丼を売り出したが、米国産の牛肉から

いわゆる、BSEに感染した牛肉が出た事で、米国産牛肉が「吉野屋」は米国産の

牛すじ肉が手に入らなくなり、米国産牛肉を使わない、代替え商品として豚肉を使用した

「豚丼」の名称を使った新商品を発売した時があったが、あの時は、本当に腹が立った

全く「豚丼」とは違う調理方法で、「豚丼」を語るとは、言語道断であると顔を赤くして

怒りを爆発させていたのであるが、再び、米国産の牛すじ肉が「吉野屋」で手に入るようになり

「豚丼」が変な料理に間違えられてしまう、脅威、危機は回避する事が出来たのだが

今後に於いても、金儲けの為だけに翻弄し、掟を破り抜け駆けをする者は、「豚丼」と言う名を

平気で使うような、恐ろしい事が起きる事であろう。

本物の「豚丼」でなくては、「豚丼」の名称は使えないように、規制を施すべきであるが

おそらく規制を掛けると、頭でっかちの屁理屈者からは、独占禁止法だと激しい抗議

雄叫びが上がる気もする心配な部分もあるが、厳しい掟があってこその、守るべき物は

断固たる態度で厳しく守るべき、そんな、古臭い考えもあっても良いと思うのである。

おわり