人は目で見える利益の形と言えば、自らの労働を報酬に代えた貨幣や紙幣
土地や建物、目で見えて手で触れる、その存在を自らが実感できる形のある物と
友達や弟子、仲間や心、精神など、形のない物とのふた通りに分けられると思います。
お金を払ってまでも、人々が手に入れたいと思うのが、お金を払っても買えないものとして
昔から変わらずに存在している、心と言う、目には見えない大切な宝ものでありましょう。
人は物や金で買えないと知りながらも、様々な手法を使い、人の心を買おうとしては
醜い事件や政治が行われ、世の中に数多くの問題を引き起こしながら、それでも尚かつ
心を売りながら、悪意を求める者が平然と生き続け、需要があれば供給もとの心があり
人の持つ悪意は放置されながら、正に、貧富の差が広がりながらも、久間じゃないけれど
しょうがない、仕方がないと、諦め顔の人達が寄り添い暮らしているのが
現実の社会の姿なのでありましょう。
お金を払って手にする物は、家や土地、物品などの有形物を手にする事で
人は満足を覚え、幸福だと感じる事が出来ますが、ならば、安心とは
果たして、有形の物なのでしょうか、銃をお金で買う事は出来ますが
悪意を持つ者も銃を買うのですから、銃で安全を買う事にはなりませんね。
お金を払ってでも手に入れたい、日米安保条約とは、お金で買えない
人の心なのでしょうか、疑問が深まりますが、そこをみんなが真剣に考えないと
いつまでも戦争などは、なくなったりしないし、核兵器を持つ事で安心を手に入れたと
錯覚をしてしまうのではないかと、常々思うのですが、これもまた金で動く人達が
あまりにも多すぎて、人類全体に得になる結論は先延ばしばかりですね。