心 | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、
きれいにすきとおった風をたべ、
桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

この有名な作品の書き出しに、心が動かされる人が居れば、
その人は、日本人の心を持つ数少なくなった人なのかも知れません。

今のように便利な物が無い、大正時代に書かれた作品の、序として書かれた一部分です。
作者の作品を読まれた方は、数々の童話や物語の中に、現代社会と共通する部分が
非常に多いと気が付かれた方が、多いことだと思います。

当時の人間にもあった、現代人と同じ心の動きが描写され、正さなくてはならない
人間の醜さや、深くある心理を感じ見つけた時に、自らの心の中に正義の二文字が
脳裏に浮かび、悪い心を持つ者が、その時に世の中に居れば、勇気を持って出来る事ならば
人々の為に立ち上がり、見返りがいらない行動の中に、悪を正し、人を諭して行きたいと
思う心が誰しも沸き上がる、衝動が起こると思います。

自分の心の中に、正義感を無くさずに過ごして居れば、悪を見かけた時に
誰かに、何かに、ひょいと背中を押された時に、自らが動き出せる力に成り
時には勇気を出して一人で、そして仲間を集い解決に向け、動いて行くでしょう。

話は書き出しの序の戻りますが、現代の様に、何もかもが有り余るぐらいに存在している
全てが快適な暮らしから見れば、便利さや快適さは、1/1000にも満たない
何もかもが自分の力で動かす様な、手動の時代でありながら、ほんのわずかにあるだろう
その時代の楽や贅沢をしなくとも、自らが幸せを感じられる、謙虚な心と考え方に
感動を覚えずには、誰しも居られないと思います。

ライフライン、インフラ整備が整われていない時代、決して多くはないだろう贅沢
我々はなんて贅沢で幸せな時代を生きているのだろうと、偶に振り返りながら
この殺伐とした世の中に、自分なりの小さな幸せを見つけ、集めながら
勇気と希望に代え生きて行くのも、元気が出るかなって思います。

希望と勇気をなくしたら、人間は駄目になっちゃいます。
動いているのは苦しいけれども、大海を泳ぐカツオのように
止まればもっと息が出来なくなって苦しくなると
いつまでも動いていなくては、いけないのだと思います。
だから善人も悪人も、共に生きる世の中に動き回っているのでしょう。

自分の中に入り込んでいて、大きな地震があった事も今まで知りませんでした。
やはり起きましたね、数日前から規模までは分かりませんでしたが
予感はしていました、なんとも悲しいことです。
被害を受けた方々に、深く心よりお見舞いを申し上げます。