久間じゃないけれど、しょうがない。
【馬】【鹿】は、人の言葉は分からないと言いますが
馬も鹿も、人間よりはずうっと利口で学習能力が優れています。
失敗を繰り返したり、同じ間違いをする野生動物は、痛い目に遭ったり
命の危険に晒されますから、同じ間違いを繰り返す事は、滅多にないと思います。
どうして利口なのかと言うと、馬や鹿には、「まあ良いや」「何とか成るさ」
ファジーな心、思考が無いから、同じ事で失敗する事が少ないのでは
ないかと勝手に想像しての憶測ですが、そう思っています。
だけど人間は、常にファジーな心が働いてしまい、失敗を何度も繰り返してしまう
そんな傾向があり、戦争は人殺しでありながら、勝った負けた中に、人の心に残るものは
家族を殺された恨みや悲しみ、戦争の最中とは言え、人を殺したと言う一生心の中から
消え去らない罪悪感と、住む場所を追われ絶望に満ちた人を創り
今までそこにあったろう、他国の人々の幸せそうな笑顔と、家族団欒の中に響いていて
明るい笑い声が溢れた、人々の生活は、権力者同士の下らない欲望に巻き込まれ
全てが消え去ってしまった、泣き声が響く絶望だけが転がっている、侵略を受けた国土
野生動物は、よっぽど空腹の時に生命を維持させる為に、自らの命を張って
危険を冒す事はあるのだろうが、馬や鹿に及ばない、私利私欲の為ならば
人を苦しめたり、金を奪ったり、殺したり踏み付けてまでも、ただ自らの欲望を
満たしたいが為に行動している人間に対して、怒りの矛先を向けて、馬鹿と罵る事は
本来ならば、賢く生きている馬や鹿達に、申し訳ないのであるが
久間じゃないけど、物事の善悪も知らない者、同じ間違いを繰り返す者の事を
馬鹿と称しているのだから、馬鹿を使うしかしょうがないのであり
自己責任と言いながら、自己責任を執らない政治家や国民は
やはり、馬鹿としか表現が出来ない訳であり、どう称したら良いのか
良い言葉があれば教えて頂きたいと常々感じています。
大勢の人と接する社会の中で生きていると、本当に馬鹿な人間がいるのであり
馬鹿と感じてしまうのは、その者と自分の、思想理念が違うから相手を
強く馬鹿と思ってしまうのではあるが、馬鹿と感じてしまう人間の多くは
どんな教育を受けて育ったのかと、不思議に感じてしまうぐらいに
慈悲の心も薄く、善悪の判断基準が違う、歪んだ道徳心が常に動いていて
権力こそ力だ、金さえあればなんでも出来ると、深く思い込んでいる者や
人の尻馬ばかりに乗っていて、自らは何もしない、いつも誰かの言い成り人間や
損得勘定ばかりで動いている、赤シャツや野太鼓の様などうしょうもない
駄目な人間が実際に有象無象と大勢いる訳であり
そう言う者に対して、馬鹿と言う言葉を使わずに済めば良いのだが
自らの意思をはっきりと表せる人に成って貰いたいけれど
人間としてしてはいけない事や、人を敬う心や、慈悲の心など
みっちりと教え込み、人間として社会の一員として、私利私欲の為だけに
動く人間ではいけないのだと、再教育をし正してあげたいのだが
それも骨の折れることであろうし、叶わぬ夢物語なのであり
馬鹿国民と言われて、なにお、この、と心が動き怒りを顕わにする人は
恐らく、ズバリその事を指摘された事に対し、罪から逃れようと心が動き
言い訳をしたくなる衝動に駆られるのですから、自らに覚えがある者でなければ
不特定多数を指し示す国民と言う表現に、過敏になる事はないと思うのですが
不特定な者に対して使っている馬鹿の表現の中には、もしかしたら自分の事を
言われているのではないかと気付かせ、その行いを正して欲しいと言う
強い願いが込められた、sukisukiscript呼びかける声だと感じて欲しいのです。
人から発せられる意見や言葉に、ポリシーがなければ
その言葉は動きもせず、人も動かせない、単なる屍と同じでありましょう。