久々の山歩き | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

昔から歩き慣れている大雪山系のある原生林の中へ入った。
山に入ると間もなく、道を塞ぐ風倒木に出会う。
根を残した侭で横たわる姿、正に、根刮ぎ状態で倒れた
青々とした葉を付ける、幹の直径は二十センチぐらいの若い蝦夷松だった。

平地の畑などとは違う筈なのだが、何かの原因で山の土も病んでしまっているのか
少し不安を感じさせられながら、ああ、少し前に来たあの台風の強い風に
お前はやられてしまったのかと、その横たわる蝦夷松に訪ねるように声を掛け
行く手を阻むかの様に塞ぐ蝦夷松を跨ぎ、林道もない薄暗い原始林の中を進む

しばらく歩くと徐々に傾斜が急になり、なるべく笹原を避けるようにして
歩きやすいルートを探しながら進んで行くと、少し周りよりも小高い丘の稜線に出る
鬱蒼と茂る樹木などで、全体の地形も景色も見渡せないのだが、不思議に此処はいつもの
休憩場所であると直ぐに分かるのも、何度もこの原生林に入っているからであり
そのなにものでもないのだと感じながら、きっと始めて入った人であれば歩く間に
自分の居場所を見失いながら、不安に成ってしまう原生林が続く深い場所なのである。

よっこいしょと声を出して座り、小さなリュックを背中から下ろし水分を補給した。
露を避ける為に着ているウインドブレーカーの下では、知らぬ間に中のトレーナーと
Tシャツは汗で濡れていて、身体は全身ずぶ濡れ状態に成っていた。

まだ歩き始めてから、1時間余りしか経っていないのに、やはり歳のせいなのだろうか
歩く体力はまだまだ十分に残っているのだが、若い時のような汗の掻き方ではない事に
自分で気付き、目的の場所までは遠いんだぞと、気合いを入れ直しリュックを背負った。

やはり山は、人の心を穏やかにする、深緑の中に満ちているだろうオゾンの力が
身体に染み入り心を動かすのだろうか、歩き出して、ふと、昔の事を思い出させ始める。

働き盛りと言う年齢の頃の、世間にゴロゴロとしている話しではあるが
子供に明日は休みと問い掛けられても、いつも返す言葉は、仕事だと言っていた
あの寂しくも虚しい頃を思い出させ、あの時は、家族とも一緒に行動が出来ずに
ただ一人だけが金を稼ぐ事だけに執着し、いつも翻弄していた時期だったなと

少しでも人より裕福になって、なんでも買える豊かな暮らしにしようと
人の倍以上も働いて頑張っていた時があったが、結局は働けど収入は決して
人の倍には成らず、ただ体力を極限まで使いながら、一人で足掻き苦しみ
実入りの少ない無駄な時間を費やしていただけに過ぎず、時間が勿体なかったと
感じながらも、その時期があったから、今になってから無駄な時間を使わないように
考える事も思う事も出来るのであり、人生が二度会ったならば、二度と同じ失敗は
しないのだろうと、ブッタの悟りの境地の様なものを感じたのである。

がむしゃらに働く事で人より上の生活を目指ながら、子育てや子供の面倒を
妻達に任せっ切りにしながら、やがては、仕事だと言えば済む事を覚え
いつも仕事だと逃げ回りながら、妻達はそれに騙されるようなそれほどの馬鹿ではなく
出来が悪く収入も増えない、こす狡く逃げ回る、あんなオヤジには成ってくれるなと
万年平か、良いとこ行っても課長補佐止まりの、サラリーマンにはしたくないと

子供には苦労させたくないと言う思い遣りが、いつの日にか欲が集り、有名私立幼稚園など
入学をさせる為に始められるだろう英才教育や、学業縛りのSMプレー有名進学お塾などに
通わせながら、子供達の出世コースとなるだろう、小中高大と続く有名私立学校に入れたがり
やがて常に世間体を気にしながら、子供達の自由を奪い去りながら、その欲望の果ては
子供達の遊びを取り上げ、心も蝕み病ませながら、子供が何か事を起こすとお前のせいだと
互いが罵り合い、常に頭の中は裕福な生活と、進学とエリートコースに包まれながら
兎に角、出世をする事しか考えなくなり、子供がしでかした悪さ迄も隠そうと必死で

自らの子供が加害者になった、イジメの事実があろうとも、家の子に限ってと
シラを切り通し、親としての重大な責任すらも、一切執ろうともせず
逃げの一手を決め込む不埒千万な親達が増え始め、大學で遊び呆ける我が子を見ても
叱るどころか、金を出し援助している有象無象の馬鹿親も世に増え続け
なんか事があるたびに、個人が守られる権利だとかだけを前に出しながら
我が子には掛ける金があるが、他人の子共は関係がない様な者も現れ

互いの助け合いがなくては、決して成り立たない社会の仕組みまでも無視しながら
互いに出し合う公平な制度にも、完全に背を向けながら、我が子の権利だけを叫び
終いには人々が出し合う金に目を付けて、人目を盗む閉鎖された組織内で
日常的にチョロマカシが行われ、公金を使い込む横領オヤジ役人と、その者を監理監督する
管理職の諸官庁の役人も、輩達とグルになって公金横領を、数十年間も続けながら
そんな極悪非道者達、中には子供を育てている親も居るだろう、そう言う者達を
我々の支払う税金で雇いながら、なんとも腐敗した人々の心と醜い世の中に
成ってしまった現状に、もう既に、日本国の国民の、心を建て直す術もなく
大きな溜息を吐くのであった。

今の団塊のオヤジ達も、この原始林の中に入れば、自分が感じたブッタの悟りと
同じ様なものを得られるのかも知れない。
だけど、ある程度の収入を得て、子育ても終わり、そして歳を取り定年を向かえ
ようやっと働く事をやめ、暇を持て余す余力を持った中高年となり
今の今まで自然に接する事の無かった者達が、いきなり山に入り
誰でも気軽で簡単に自然と接している様に魅せ掛けている、無責任なテレビ番組に
惑わされながら、酷い錯覚に陥り、自らも直ぐに体験できるだろうと山に向かい
命を落とす愚かな者も増え始めながら、問題になっているのも事実である。

やはり経験なしで安易に山にはいるのは危険であり無理がある。
山ノ神に、どれだけ札束積み見せても、差し出しても、命などは救ってくれない。
常に生きるも死ぬも究極の自己責任の世界なのである。
ガイドなどを雇い、全ては人任せにした、ほのぼのレジャーならば良いのだが

人間はある行動に慣れると、人と同じ景色を見るのも、山道を歩くのにも飽き始め
誰も手にしていないだろうものを欲しがり、単独行動でそれを手に入れたくなる衝動は
冒険心と言う欲望に変わりながら、自分は経験が豊富だと大きな勘違いをしながら
山の中に深く単独行動で入って行く心が動くものである。

山歩きを多く経験している人でも、始めて入る山では、多かれ少なかれ
道に迷う事があると思うが、迷っても迷わない方法で常に我が身を守りながら
大事に至ることなく無事に目的を遂げる事が出来る訳なのだが

常に人任せで行動している者達は、道に迷ったらやたらと慌ててしまい
どこを見ても同じ景色に見えてしまい、闇雲に歩き回って更に土壺に填り
やがてはパニックに陥る事が多いと思います。

自分も自信過剰から単独で始めて入いる山でありながら、簡単な山だと高を括り
山の恐ろしさを舐めてしまった事から、命綱でもある目標物を見誤り、ルートを外れ
ついには道に迷い、山中を14時間も彷徨い歩く様な、プチ遭難起こしてしまい
救助を呼ぶ気も更々なかったので、大事にはならなかったけれども
あれは、絶対に忘れられない経験であり、神が我に与えてくれた戒めだったのだと
今となれば思えるのですが、道に迷い山中を彷徨いながら、やがて陽も落ち暗くなり始め
熊と出会う恐怖が異常に強くなり、とても平常心を保つことが出来なくなって
更に心は慌てふためき出し、最もしてはならない危険な行為をしてしまったのです。

暗い山の中を歩く行動は、一歩間違えば足を踏み外し、沢や崖に落ちてしまう
命を落とす滑落事故を招く、大変に危険で無謀な行動であり、本当に無事に
生きて来られたのが来られたのが不思議なぐらいな、死と隣り合わせの
経験をした事で深い反省が生まれ、現在の自分が居るのだと、無神論者でありながら
神様に深く感謝するのでありました。

登山や山歩きが彼らのブームとなり、遭難や山岳事故が増えています。
特に、秋は思っている以上に、陽が暮れるのが早いので注意が必要です。
あれ、なんか話が途中で変になりました。
何を言おうとしてたんだか、分からなくなりましたので
つづきは、思い出した次回と言う事で、書くのを終わりましょう。