だんごは、甘辛たれの醤油味の串だんごが大好き、それを、みたらしだんごと言うのか
その正式な呼び名や深い歴史など、なんかややっこしい事は、口に入ればどうでもいい
串だんごの醤油、それで通じているんだから、まぁこまる事はなかった。
学校帰りに友達とよく寄った団子屋があった、一見ヤンキー、いやいや、不良少年風
とでも言おうか、そんな風体には団子屋と和のスィーツは、全く似合わなかっただろうけど
兎に角、美味いだんごを出してくれる店だった。
注文は、醤油だんご4本がお決まりだったが、時には財布の中を覗き、お小遣いに余裕があると
焼いた、焼きだんごを頼んだりしていた、普通の醤油だんごと焼きだんごの値段の差は
一串10円の違いだったが、その10円に時ならぬ贅沢を味わい幸せだった。
たかが10円されど10円、今ではなかなか感じる事が出来ないのかも知れない。
団子の話から、談合の話しに話題をすり替える手法が、政治を語るものにとっては
定番、定説なのであろうが、団子は団子で、あくまでも団子についての、昔の想い出に
浸ることにして、団子の次に来る話は、お彼岸に食べる和のスィーツ、おはぎだろう。
自家製の大きめのおはぎだけ、おかずなどはなく、おはぎだけが整然と列ぶ食卓の風景
品な風景は、一般家庭では珍しいのかも知れないが、我が家ではそれが当たり前だった
餅米に甘さが控えられた練り餡のおはぎ、既設に依っては、ぼた餅とも言うらしいが
そんなややこしいことは考えずに、通年、おはぎと呼んでいた。
作られたおはぎは、だいたい60個ぐらいはあったのだろう、一人で20個は食べていた
20個で足りない時には、家族の分を目で計算して、一つ二つと口に運んだ。
食べた数の過去の最高は、全36個、腹がどんどん膨れて、超満腹になったが、
その美味しい味は終始変わらずに、幸せに浸れていた。
36個も食べたら胸焼けをするんじゃないかと、心配してくれる人もいるだろうが
どんなにおはぎを食べても胸焼けなどは、一切しなかった、今もしないけれど、
豆の国とも言われている、十勝の小豆の質が良いからなのだろうか、良い豆は
良い餡を作り、美味しいおはぎを与えてくれていたに違いない。
畑のダイヤモンドとも言われる、高級な豆を貧乏人が腹一杯に食べていたのだから
それは、アラブの大富豪や世間で言う金持ちが、金の力や権力で得ているだろう
自慢げな幸せとは全く違う、ごく普通の中にある超最高の贅沢であり、
頼む、金は幾らでも払うから、それを味わわせてくれと言われても、彼らには決して
幸せを感じ取る事が出来ないのであろうし、普通の中の普通が、彼らにとっては
普通ではない贅沢なのだと感じれば、またそこで少し幸せを感じ取れるのであった。
兎に角、多さ間の耳はロバの耳で、仕立屋に褒められて、持ち上げられて
そうでゲスねと、赤シャツや野太鼓どもが、常にまわりを取り巻いていて
輩達に上手く騙されながら、金を吸い取られているだけの王様は可哀想なのであり
そうなってしまったのは、自己中になってしまった、そんな自分が悪いのだから
今更何を言ってもしょうがない。
安倍の耳はロバの耳、そう言われないと気が付かないのだろう。
頼むから、坊ちゃん、戦争だけはしないでくれよ
世界に名を残す、歴史上の人物、日本を駄目にした総理大臣になっちゃうよ
坊ちゃん、坊ちゃんと持ち上げられ、貴方は日本国民を殺そうとしているのか
安倍晋三が、悪魔とも言える、あのブッシュを、ジョージと呼んだ瞬間に
この日本を破滅に導くシナリオが浮かび、恐怖に包まれながら
食物は全て油に変えられて行き、貧困層は食べるものもなく、飢え苦しみながら
道端に倒れ死んで行く姿が浮かび、結末は争いに倒れる人々の姿で締め括られ
閃光が一瞬ひかり、焼け野原となった国土が広がった光景が見えたのであった。
アメリカ寄りの考えは、それをテロと呼ぶが、どう見ても正当な武力紛争であり
アメリカに逆らうものは、全てテロと呼んでいる中に、その戦闘に日本は手助けし
特措法なる怪しい法律は、与党一致で可決されてしまう悪魔に手を貸す議会
間もなく、来る時が来て、日本国民を戦闘が行われている戦地に送る事になるのだろう。
平然と、しかも、粛々と・・・