「働かざる者 喰うべからず」その言葉の意味はなんて深い言葉なのだろう。
野生に住む、雄と雌からそれは始まり、やがて子を産み家族と言う小さなコロニーを作り
効率よく食料を得る為に、近くに住む別の家族と協力関係を結び、互いに助け、助けられ
安定した食料自給と食料の保存方法を学びながら、生命を維持する事を克服し
それを繰り返す内に、やがて協力関係を結んだ家族も自然に増え増やしながら、
互いの生命を守る為に苦労を苦ともせず共にしながら、平等な関係を維持し続け、
平和な暮らしをしていた、そんな時代もあったのでしょう。
少数ながらも集団化した社会、安定した生活から更に協力し合う事を生み、
手に入れられない食料があれば、それと同等の価値のある物と、互いの合意から
物々交換として、商取引の原型が生まれ、その物を得る為に苦労した他人の労働は
労働の対価として、品物と同等な価値が認められながら、自ら作ったり探したりしなくても
容易に欲しい食料が手に入る様になり、人々の生活は格段に豊かになり、やがて物々交換が
容易になるように、人々は多く集まり部落や村を作りながら、人の苦労を苦労と認めながら
心が通じ合う和気藹々、皆が仲良く暮らしていた時代もあったのでしょう。
物々交換も、やがて高い知能を持つ人間としての宿命なのか、その時代の終わりを告げます。
自分の労働の価値を過大に見るように、体力のない弱い者を暴力や力でねじ伏せたり
どんなに相手が困っていても、過大に言い張るその労働の価値に対して、納得しなければ
相手が飢えて死のうとも、食物を交換しない者も現れて、やがては盗人も現れながら
楽をして儲けるズルを覚えた者が満ち溢れ、人々の暮らしの中に平等という均等は崩れ
何の苦もなく、他人や家族の為に労働を惜しまず働いている者も、力で人を操る事を知り
他人を働かせて、自分は楽をしながら食物を手に入れる者が、誰もが公平であった筈の
集団生活の中に目に余る程に増えながら、今で言う奴隷制度があちらこちらに蔓延し、
力のある者は絶対であると言う、不公平ありしの社会を育んで行ったのでありましょう。
人の欲望は限りなく大きくなり、奴隷として使われていた者は集団となって暴動を起こし
力でねじ伏せている、さぼる者を攻撃し打ちのめし、再びその様な者が出ないようにと
戒める掟と罰が皆で話し合われ作られ、それと同時期に、掟を破るのか判断する者や
罰を執行する者が選ばれ、ズルイ者やさぼる者が集団生活社会の中に増える度に、
罰則は増やされ、人が人を監視する者も増やされながら、今の役所の原型と成る
人を監視する組織と成って行ったのでありましょう。
だけれども、その人を人が監視して人々の生活を守り統治して行く時代も長くは続かず、
多くの人々を取り纏める為に生まれた掟すらも、監視するという立場を利用し、それを
人々を押さえ込む力として行使し始め、監視人には逆らえない体制の中に、監視する者達の
自ら達に都合が良いものに掟は変えられ、監視する者は、それを良い事に、さぼり続け
働かなくても自ら達は、私腹を肥やして行く完全に腐敗した社会構図が生まれながら
ズルイ者達は、更に彼らの都合の良い新しい掟を定めながら、現在の日本と言う国家
醜い国家体制が基盤にありながら、監視する公務員や法を創る議員天国としての
完璧な城壁を築き上げてしまっているのでしょう。
その彼らのそのズルイ動きにすら、国民は人として正しい道に向かうよう正す事もせず
彼らと戦う気力すらも失せているのか、まるで彼らの家畜と化しながら、誰も拳を振り上げ
反乱を起こす事もなく、更に無気力な者達は、彼らと手を組み、その体制が崩れる事を恐れ
城壁を守ろうと手を添えている愚か者も多く見受けられる。
決して崩れる事がない城壁の中で、彼らはどんな悪事を繰り返しているのか、
不平等の元にある不平等に、小さな個人すらも、寄り集まり暮らす民衆も
助け合いの心を失い、我が我がと私利私欲の為に突き進む欲望が渦巻く世の中に
家族もバラバラになり、社会を形成する個人すらも協力など意味もないものとして
彼らが産み出す悪意の元の悪い影響は、日本国国家の破滅へと導いているのでありましょう。
「働かざる者 喰うべからず」
そんな言葉などは、もう、この日本国には、全く必要のない言葉
誰も戒める事すらも出来ない、価値がない過去にはあっただろう
誰も使わなくなった死語となってしまったのだろう。