己の傷 | 十勝・帯広を洗濯いたし申し候

十勝・帯広を洗濯いたし申し候

Yahooの勝手な事情からの移民です。トホホ

顔色を失った 切羽詰まった 人間に向かって
おい 死ぬのは止めろと 人々は 真剣な顔で言うけれど
全体重を掛けて 貴方に寄り添い それでも耐えながら
最後まで 助けられるかと訪ねると
皆 口を揃えて 仕事があるから 生活があるから
いやいや あの人がしてくれるから
きっと 誰かが助けてくれるから 大丈夫だと言うばかり

その時の生命と言うものだけは 生き延び助かるけれど
世の中の仕組みなんて 何一つ 変わらない

権力を持ち 組織力を持ち 金の力で人々を動かし
世の中の全てを 思い通りに 支配し続けている者達に
人間としての優しさが戻らない限り 何も変わらないのだろう

ただ人々に見つからないようにと隠れ 更に陰湿になり
手口も巧妙になり 次の目標を探し始めては
同じ様な犠牲者を 出し続けるだけ


ある学校の校長が、食べ物を粗末にした子供を叱り、手を挙げて尻を叩き叱った
親から手を挙げられ叱られた事がない、子供にとっては驚きだったのだろう
バランスを崩し転んでしまった、転んだ時と頬を摘まれた事で、擦り剥き傷と
内出血をしてしまい、親は病院に連れて行き、全治1週間と診断書を貰い
鬼の首を獲ろうと教育委員会に怪我の診断書を突き付け、体罰で叱る教育方針と
怪我怪我を負わせた責任を執れと言い寄っている親が現実の姿としている。

愚息のしでかした社会に対する責任すら忘れ、掠り傷と内出血如きで騒ぎ立てる
馬鹿げた事が平然とある世の中、ならば、その事を知った農民達が立ち上がるかと思えば
何も言わないのが、これまた社会の構造なのだろう、本来ならば、日本人の主食である米を
粗末にしていた子供を如何にも責任がないかのように擁護している、人としての常識のない
テメエらみたいな家族には、今後は、一粒たりとも米を売らないと抗議するのが、
子供だけではなく、親に教育する、出来る場面なのだが、子供を叱れる校長を
助ける為に回る者もない社会とは、なんとも冷たく感じてしまうのである。

こんな社会では 大人の社会でも 子供の社会でも
絶対に 虐めなんてなくならないし 官制談合もなくならない
泣くのは弱い立場の者達だけ あとは 知らんぷりが続くのだろう。