ノーベル平和賞 | 銀盤の星達

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ノーベル平和賞の授賞式が日本時間の10日夜、ノルウェーで行われます。

ノーベル平和賞の授賞式は、ノルウェーの首都オスロで現地時間の10日午後1時、日本時間の10日夜9時から行われ、被爆者の立場から核兵器の廃絶などを訴えてきた日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会が受賞します。

 

ノーベル平和賞の授賞式は、日本時間の10日午後9時から、ノルウェーの首都・オスロの市庁舎で行われます。授賞式には田中熙巳代表委員、田中重光代表委員、箕牧智之代表委員が登壇する予定で、3人は、式が始まる5分ほど前にノーベル委員会のメンバーとともに市庁舎に入場します。

 

式は1時間あまりで、日本時間の午後9時にノルウェー王室のハラルド国王、ソニア王妃、ホーコン皇太子、マリット皇太子妃、それにオスロ市のリンボー市長が入場します。

そして午後9時10分ごろ、ノルウェー・ノーベル委員会のフリードネス委員長が受賞理由などを説明します。

このあと午後9時半ごろにフリードネス委員長からメダルと賞状が授与され、日本被団協を代表して、3人の代表委員が受け取る予定となっています。

 

午後9時40分ごろには、田中熙巳代表委員が20分間、受賞の演説を行い、自身の被爆体験や、核兵器の廃絶などを世界に訴えます。

最後に、3人の代表委員がハラルド国王をはじめとするノルウェー王室から直接、祝福を受けます。

 

式の合間には、合わせて4回の音楽演奏が予定されています。

演奏はノルウェーのソプラノ歌手のマリ・エリクスモーンさん、ドイツのベルリンを拠点に活動する三味線を用いたバンドの「Mitsune 蜜音」、ノルウェー民謡やオペラ楽曲などを融合させた音楽が特徴とされる「ホーコン・コーンスタッド・トリオ」というグループです。

このうち「Mitsune 蜜音」は、公式サイトなどによりますとメンバーに日本人も含まれ、日本の伝統的な民謡をベースにした楽曲などをヨーロッパを中心とした各国で披露してきたということです。

毎年、ノーベル平和賞の授賞式では音楽の演奏が行われていて、去年、イランの人権活動家のナルゲス・モハンマディ氏が平和賞を受賞した式では、イラン出身の歌手などが楽曲を披露しています。

 

ノーベル平和賞の公式ホームページなどによりますと、現在のノーベル平和賞のメダルは18金製で、直径は6.6センチ、厚さは5ミリ、重さは196グラムだということです。

1901年にノルウェーの彫刻家がデザインし、表面にはアルフレッド・ノーベルの肖像が描かれ、その周りにはノーベルの名前と生まれた年、亡くなった年が刻まれています。裏面には肩を寄せ合う裸の男性3人が描かれ、その周りにはラテン語で「人類の平和と友愛のために」と刻まれていて、デザインは一貫して変わっていないということです。

毎年、ノーベル平和賞の受賞者が発表されたあとに、ノルウェー造幣局が鋳造していて、メダルの縁には受賞者の名前と受賞年が刻まれるということです。

また、ノーベル平和賞の賞状には、「ノルウェーのノーベル委員会は、アルフレッド・ノーベルが残した遺言の条項に従い、ノーベル平和賞を授与した」と、ノルウェー語で書かれています。

装丁は、ノルウェーの現代アーティストに依頼して毎年新たにされ、賞状の製本を手がける職人が、メダルのケースも作っているということです。

 

日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会は、広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、核兵器廃絶を願う被爆者の声を68年にわたって世界に発信してきました。

日本被団協が結成されたのは広島と長崎に原爆が投下されてから11年後の1956年です。

当時は、日本のマグロ漁船「第五福竜丸」の乗組員が、太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被ばくしたことをきっかけに国内で原水爆禁止運動が高まりを見せていました。

結成の宣言で、「人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません」と訴えました。

1984年には国による原爆被害の補償と核兵器の廃絶を求めた「原爆被害者の基本要求」を策定し、活動の柱となっています。

原爆被害の実相を伝えるため積極的に海外でも発信を行い、1982年には代表委員の山口仙二さんが、国連の軍縮特別総会で被爆者として初めて演壇に立ちました。

14歳の時に長崎で被爆した自身の経験を語り、やけどを負ったみずからの写真を示しながら、「ノーモア ヒロシマ ノーモア ナガサキ ノーモア ウォーノーモア ヒバクシャ」と訴え核兵器の廃絶を迫りました。

 

以下省略NHK記事一部抜粋

 

テレビで授賞式を観ますクラッカー