浅田真央さんが真央ちゃんと呼ばれていた頃
真央ちゃんフィーバーが起きた頃
演技がバレリーナの所作でした
アノ頃は
大人の選手が多く
見た目が子供だという外見が目立っていた
ついでに衣装が好みで無かった
まさに子供用風味過ぎのデザインだと思った
なんで???こんなデザインにしたんだ?
と思った
くるみ割り人形の衣装
何でや
ジュニア選手権優勝の時の衣装は素敵だったのに
何か衣装がシニアに成ってからハズレが多く成った気がする
それは置いといて
バレリーナの様で所作が美しかったです
柔らかい腕の動きと美しい姿勢
これは残念ながら
今の日本の女子選手には未だに現れていません
パキバキした腕の動きなんです
ここらあたりが海外選手との差でしょうか
やわらかさが感じられないのです
難しい
しなやかな上品な腕の柔らかい動き
バレエの様に美しかったです
衣装がダメでしたが
浅田真央さんのアイスショーは見たいのです
他はど~でもいいと思う様になってしまった今日この頃
アイスショーよりも競技の方が好きなので
「BEYOND」ビヨンド
見たいよ〜
チョッと昔の記事を貼り付けました
2014年産経新聞スポーツ記念日
鮮烈だった15歳浅田真央の「くるみ割り人形」
わずか87日不足でトリノ五輪出られず…あのとき出ていれば
2005年12月17日。15歳のあどけない少女が舞う「くるみ割り人形」に観客はくぎ付けになった。
フィギュアスケートの浅田真央がグランプリ(GP)ファイナルに初出場した。ショートプログラム(SP)で首位の浅田はフリーでも高難度のトリプルアクセルを成功させ、合計189.62点で初優勝。会場には地鳴りのような大歓声が響いた。世界女王のイリーナ・スルツカヤ(ロシア)を抑えての快挙だった。
シニア参戦初年度で、GPファイナルを制覇。しかし、直後の06年2月に行われたトリノ五輪には年齢制限のため出場できなかった。浅田は9月25日生まれ。当時、五輪への出場は、国際スケート連盟(ISU)が「開催前年の6月30日までに15歳に達していること」と定めており、わずか87日足りなかった。本人は「少しは出たいという気持ちもあるけど(2010年)バンクーバー(五輪)があるので、そこに気持ちを向けられればいい」と健気な乙女心をのぞかせたが、同情論が噴出した。
フィギュアの年齢制限は、子供の成長を妨げる過度な練習や精神的重圧を避けるため、医学的見地から設けられた。若いスター選手のプロ転向に歯止めをかけたいという裏事情もあった。
以下省略
荒川さんが優勝したから良かったけど
もしも真央ちゃんの誕生日が間に合っていたら
ワンツーフィニッシュに成ったのだろうか
採点操作をされたかも
まだアジア五輪女王は誕生していなかった
歴史は戻せない
しかし歴史は繰り返す