何かで迷ったとき

悩んだとき

 

「どっちが正解だろう」

 

って考えちゃうことってあると思いますが

 

それって「正解がある」っていう前提ですよね

 

「自分の正解を見つける」っていうときは

 

外に正解はなくて

外にあるのは「参考資料」だけ

ってわかってるからいいだろうけど

 

 

「自分で正解が見つけられない」

が前提にあると恐怖ですよね

 

この「見つける」って言葉も

「見つける」だとなんか

「どこかにある」って

ニュアンスが強い気がして

 

「気付く」の方が正しい気がするんだけど

 

とにかく「正解」ってのは

多くの場合

誰かが決めた正解なだけで

「自分の正解」じゃないよね

 

だから何かで選択を迫られた時

「どっちが正解だろう」って考えるのをやめて

 

選んだあとで

選んだ方を正解にする思考回路を磨いた方がいいと思う

 

それだと

「あのときああしておけば」ってのが湧いても

スルーしやすいと思う

(※いきなりなくすのは難しいと思うから笑)

 

選ぶときは

「どっちを選んでも正解にしよう」って

思えるようにしていけば

 

実際に正解に導くエネルギー回ると思うんだよね

 

それでもやっぱり後悔はしたくないから

判断基準は磨かないととは思うけど

 

選んだあとは、

それを正解に持って行かないとねって思う

 

 

「早く寝る」を選んだのに

結局一睡も出来なくて

だったら起きて何かした方が有益だと思ったとしても

 

寝なければ寝ないで

「ベッドに入っておけば寝れたかもしれないのに」

とか思うかもじゃん

 

だったら

「寝れなかったけど目と身体は休めた」

とか

「寝れたかも、っていう後悔の可能性を潰せた」

とか

 

そういう自分で「正解にする」っていう

思考回路を作っておくと

余計な後悔でエネルギー消費したりしなくなっていくと思うのです

 

 

エネルギーは使いたいときに

使いたいことへ

自由に使いたいもんね