≪映画≫「英国王のスピーチ」(The King's Speech) | RE:SUKI

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考えましょう

アカデミー賞12部門最多ノミネートの『英国王のスピーチ』(The King's Speech)が、Best Picture(作品賞)・Best Director(監督賞)・Best Actor(主演男優賞)・Best Writing – Original Screenplay(脚本賞)の4部門で受賞するという快挙でした。私はすでに観ていたわけですが、アカデミー賞というのはあくまでアカデミー賞であり、私のような大衆が喜んで観るものではなかったのでは、と今は思っています。

★ストーリーは… (※ネタバレが一部あるので注意です禁止



■「吃音症」に悩むヨーク公アルバート王子(英国王ジョージ6世)
◇Colin Andrew Firth(コリン・ファース)
⇒Best Actor(主演男優賞受賞)


■オーストラリア出身の医師ではない言語聴覚士ライオネル・ローグ
◇Geoffrey Roy Rush(ジェフリー・ラッシュ)
⇒Best Supporting Actor(助演男優賞ノミネート)

この2人による駆け引きというか信頼と友情の物語です。どのような映画かはWikipediaの「ジョージ6世」を読むと理解出来ると思います。(史実に基づく話ですので読むと全てが理解出来てしまう可能性が)

▼http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョージ6世 (イギリス王)


映画を語る上で題名にもある「スピーチ(演説)」の存在は重要であり、映画の全てと言えます。逆に言えば、ここにしか見入る部分がなかったとも言えるかもしれません。もちろんこれは、日本人の私としての感覚であり、イギリス王室を愛する英国国民の気持ちとしては、また違うものがあると思います。ベースが異なりますからね。

私の気になったポイントは…。

物語の途中、王室一家で観るナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラーによる「スピーチ(演説)」の迫力は凄まじく、ジョージ6世の吃音症による演説では、国民へ声が届かないという心配が浮かびます。

日本も戦った第二次世界大戦へのきっかけとなった「ポーランド侵攻(※)」を受けて、ジョージ6世はドイツのヒトラーと同じく「スピーチ」を行うことになります。国民を鼓舞し国を守るために戦争を行うのです。

さすがにここから先の内容は映画をご覧下さいとしか言いようがないのですが、ドイツとの戦争へ向かい国民を奮い立たせるスピーチは、なぜ「生放送」である必要があったのかと疑問が浮かびました。

古めかしい診療所へ通う吃音症のジョージ6世が、最初の治療の際に大音量のクラッシックをヘッドホンで聞きながら、「ハムレット」を朗読させられるのですが、これをローグが録音しているシーンがあります。

後にこの時録音されたレコードがきっかけとなり、2人はタッグを組むのですが、これぐらい簡単に録音出来るのなら、録音をした音声を流したほうがミスがなかったのではと、ふと思ったのです。吃音症を克服する目的ならば話は変わりますが、今回は国民へのアピールが目的です。

実際に日本では、昭和天皇による終戦時の玉音放送はレコードによる放送でした。国民へ向けた重要な放送であるが故に、よりリスクの少ない方法を取ったということでしょう。

しかし、イギリスでは慣例なのかもしれませんが、生放送が行われたのです。映画を観ながらぼんやりとこの辺りのことを考えていたら、感情移入が出来なかったのです。

さらに、吃音症を克服し演説を成功させたジョージ6世の姿が素晴らしいのは確かですが、国を守るためとは言え、戦争へ国民を向かわせるための演説だと考えていると、感動以前に虚しい気持ちが私の心には浮かんでいました。

敗戦国である日本の目線で見てしまったので、この様な見方になってしまったのかもしれませんが、残念ながらスタンディングオベーションをするとまでは、とてもいかない映画に私には思えたのです。さて、みなさんの感想はいかがなものだったのでしょう。アカデミー賞受賞作品だけに気になるところです。


アカデミー賞受賞作品というのは、どうも私には合わないのかな…


※ポーランド侵攻(ポーランドしんこう)とは、1939年9月1日にドイツ軍とその同盟軍であるスロヴァキア軍が、続いて1939年9月17日にソビエト連邦軍がポーランド領内に侵攻したことを指す。ポーランドの同盟国であったイギリスとフランスが相互援護条約を元に9月3日にドイツに宣戦布告し、ポーランド侵攻は第二次世界大戦に拡大した。

■映画『英国王のスピーチ』予告編


■ジョージ6世1939年9月3日の実際の音声~The King to His Peoples. H.M. King George VI from Buckingham Palace September 3rd 1939