「2人を殺した」 法廷での暴言から・・・ | RE:SUKI

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考えましょう

2000年の殺人事件の犯人の一言が家族を自殺にまで導いた。


「お前らが駅に迎えに行かなかったから娘は死んだんだよ」


一審判決の法廷で、穂積一は家族を挑発するかのよう暴言を言い放った。「(被告は長女と妻の)2人を殺した」と、父である保さんは、言ったという。



「お嬢さんは茶色のスカートをはいて出ましたか?」


ある日、警察から電話がかかってくる。その日から、被害者の家族の苦しみは始まった。母は、殺された娘のことだけを考え日々暮らしていた。穂積一の一言は、母の心を地獄へ突き落とす絶望の言葉となったのだろう。公判を傍聴した後には、自殺を繰り返すようになった。リストカットは、無意識の間に行っているようだったという。そして、29日に穂積一に無期懲役の判決が出た。しかし、8月1日に母は電車に跳ねられ亡くなっていた。母にとっては、穂積一の一言が心から離れなかったのだろう。


「あの時、迎えに行っていれば・・・」母は責任を自分は死ぬことで償うしかないと思ったのだろうか。悪いのは、犯行を犯した男でしかないのに。穂積一の一言が、家族を追い詰めたのは間違い無い。皆さんはどのように思われますか?



私は、この男は許せません


横浜市瀬谷区で2000年に会社員渡辺美保さん(当時22歳)が殺害された事件で、美保さんの母、啓子さん(当時53歳)が今月1日、電車にはねられて死亡していたことが分かった。神奈川県警では自殺とみている。

 殺人罪などに問われた穂積一被告(28)が1審判決の法廷で「お前ら(家族)が駅に迎えに行かなかったから娘は死んだんだよ」と家族に暴言を浴びせており、父の保さん(57)は「(被告は長女と妻の)2人を殺した」と憤っている。東京高裁は29日、無期懲役とした1審の横浜地裁判決を支持し、穂積被告の控訴を棄却する判決を言い渡した。

 県警の調べによると、啓子さんは1日午後2時半ごろ、横浜市瀬谷区の相鉄線三ツ境駅近くの踏切で普通電車(8両編成)にはねられ、搬送先の病院で死亡した。遺書はなかったが、踏切に靴がそろえて置かれていたことなどから、県警は自殺とみている。(読売新聞)



00年10月16日、同市瀬谷区二ツ橋町で、帰宅途中の美保さんが殺害され、道路脇の畑地で遺体で見つかった。鋭利な刃物で首を刺されていた。

  美保さんは、父の保さん(56)、母の啓子さん(51)、2歳年下の妹と4人暮らし。その自宅の電話が鳴ったのは4年前の10月17日午前0時ごろ。瀬谷署からだった。

  「お嬢さんは茶色のスカートをはいて出ましたか」。美保さんが初めて着ていったロングスカートと同じ色だった。

  署では、何の説明もないまま、家族の経歴を細かく聴かれた。部屋の外から「『遺族』がいらしています」という話し声が聞こえた。「殺人事件の被害者です」。午前4時ごろ、捜査員からこう告げられた。

  短大を卒業し、着物の販売やレンタルを扱う会社に就職した美保さんは「お父さん、お母さんを悲しませられない」と自宅から通勤していた。

  美保という名前は保さんがつけた。生まれる前から啓子さんのおなかに「美保ちゃん」と語り掛けていた。待ちに待った長女だった。

  事件後、「美保のそばに行きたい」と啓子さんは口にした。保さんは台所の包丁を隠し、妻のために心療内科を探した。

  捜査は難航した。事件から1年後には、捜査員からの電話さえなくなった。啓子さんは「私たち見放されちゃったね」と繰り返した。03年5月、捜査してくれていることを確かめようと訪れた署の捜査本部で、啓子さんは収納ケースの底でつぶれた美保さんのバッグを見た。無念さが増した。

  03年9月6日、近くに住む穂積被告が瀬谷署に自首。「帰宅を待ち伏せし、車でひいた後、ナイフで刺して殺害した」と供述し、2カ月後に逮捕された。

  進展しない捜査に、両親は懸賞金を出すことを考え始めていた。だが、それから間もない11月5日、「容疑者逮捕」の知らせを、新聞記者から受ける。容疑者は美保さんと中学の同級生だった。「逮捕されたよ」。保さんは美保さんの仏前に報告した。

  「おめでとう」と言ってくれる知人もいた。確かに、捜査は一区切りついた。しかし、漠然としていた憎しみの対象が明確になっただけのことだった。

  今年2月19日の初公判。穂積被告は「やってません。そんなとこ(現場)にも行ってません」と無罪を主張した。

  無罪主張に、保さんらは虚をつかれた。自首した被告が否認すると予想していなかった。

  すでに20回を数えた公判を、家族3人が毎回最前列で傍聴した。目の前で、被告側が裁判長に主張を訴える。だが、自分たちは、意見陳述の機会以外、それを見て、聞くことしかできない。

  啓子さんの左腕には無数の傷がある。夏前から始まったリストカットの跡だ。自分では記憶すらない。主治医は「公判を傍聴した後にやってしまうようだ」と言う。

  家族3人は、20日の論告求刑も美保さんの遺影を抱いて傍聴する。(2004年12月20日のasahi.comより)