娘が進学して、やっと中学生になった。制服のセーラー服を着て立つと、「成長」を非常に感じたのだ。ここ10年くらいは3月に咲き落ちる桜だったが、今年は3月の気温が低かったこともあり、入学式に桜の花が咲き誇っていて、そこかしこで、娘や息子を挟んで、撮影する姿が目についた。「春の風景」の復活である。

 

昨今、公立学校でも、「制服」が男子は詰め襟、女子はセーラー服ではなくて、ブレザーになりつつある。ワタシはブレザーの制服は時代もあり、それほど好きではない。なんとなく、だらしない感じがするからだ。それは、おそらく、ワタシの先入観に過ぎないことはわかっていても、ワタシの学生時代にブレザーだった学校が、「自由」を売り物にしている学園だったので、だらしない着方をしている学生たちが目立ち、詰め襟のホックをキチンと2つともかけて通学しているワタシには、「嫌悪感」しかなかった。

 

最近の女子校も、意識しているのかしていないのか、デザインが先行して、スカートの丈も短くなり、「ちょっとなぁ〜」と思うことが多い。「制服が可愛いからあの学校へ」という女生徒もいると聞く。ある意味では、「驚き」である。「学生の本分」は「学ぶこと」ではないかと思うし、「身だしなみ」と「見た目がかわいい」とはちょっと違うよなぁ(笑) 娘のスカートの丈は、ワタシが学生時代だった頃の女生徒のスカートの丈と同じでしっかりとスネまであるし、胸当てもついている、「これがセーラー服だよなぁ」と娘の成長を感じながらジブンの学生時代の甘酸っぱい思い出が蘇る。

 

少なくとも、「学生時代」はいろいろな知的経験を深めて、体力をつけて、将来に向って育って欲しいものだ。だんだんと自覚・自我が育まれてきていることがわかる。パパ・ママを客観視できるようになってきた娘を見ていると、頼もしくも思う。兄に負けず、勉強も体力も付けて、「学生時代」を生きてほしい。


potsunの「いいものみつけたよ〜」 Amazonへ

自治会・町内会に入っていますか? へ

誰にも教えたくなかったExcel小技2

閑話休題 へ