さて、ここまではNEC98の時代だったが、突然、「DOS-V」(どすぶい)と言う言葉が世間を駆け巡った。「98なんて、もうダメだよ」とパソコンヲタクに近い先輩がその頃から「DOS-V」のパソコンの導入を検討していることを言う。貿易事業の部門でも、DOS-V用の拡張HDDの取り扱いが増えていると言う。その頃から、台湾やシンガポールは活発に動いていた。日本はNEC98が席巻しているのだが、時代が変わりつつあることを、勤務先でも感じていた。しかし、勤務先は某大手電機会社の関連会社だから、その某大手電機会社独自の方言主体のOS言語で生きている。直接には影響はなかったのだ。

 

NEC98からDOS-V機に替える必要性が出てきたのは、やっぱり、「インターネット」ではないだろうか。そして、NEC98よりも安い機種がどんどん出てきた。そんな中で購入したのが、FM-Vだったような気がする。富士通のフラッグシップ機で、それは余計ないらないソフトウェアがてんこ盛りで(笑) アンインストールしすぎて、パソコンが動かなくなった思い出がある。この「ソフトウェアてんこ盛り」傾向はしばらく続いていた。

 

出典不明

 

その後、FM-V以降は日本製のパソコンを買う気は失せた。まだまだ、NEC帝国的な発想で売る、日本のパソコン市場だ。拡張機器も自社製の接続しか認めない的なものは、DOS-Vで廃れつつあった。

 

同じように「ワープロ」も廃れていく。ボーナスをはたいて購入した、HITACHI WordPal WithMe はその当時としては非常に薄い筐体のノートブック型ワープロで、勤務先の文書はWordPal(ワードパル)で作られていたから、購入したのに・・・ まだまだ、Officeなんてのがない時代だ。

 

勤務先で導入されていた HITACHI WordPal 30

 

頑丈で高い「企業文化の壁」から抜け出すことはできないから、当然、文書はこのWordPalしか使えない。当時は互換性がないので、NECのパソコンでも使えないし、海外事業部が持っていたDOS-V機でも読み込むことはできないのだ。しかし、企業内の総ての文書はこのワードパルで作られているという文化が支配している。後々、コンバーターができ、MS-Wordに変換できた記憶があるが、そのために、事務が停滞した記憶がある。(いま思えば、その企業の方言のある文化のほうが、セキュリティ面では強固で充実していただろう。「世界共通言語」にしたから、侵入されて、データを盗まれる(笑) HITACHIは Hi-MOS なんてOSににしていたなぁ)

 

しかし、DOS-V機が普及してくると、このWordPalで作成された文書も読み込めるようになった。これで、ボーナス購入した、WordPal WirhMe ともおさらばだ。熱転写プリンタも一緒に販売されていて、いまでも通用するような、非常に薄型のワープロ専用機で、個人ユースを主体にしていたし、販売時期も年末だったから、「年賀状」作成が非常に便利だった。フロッピーディスクも普及していた3.5"だった。

結局、FM-Vをメインに使うことにして、WithMeは後輩の女性に譲った。

 

 

 

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