--16:00--
「この1本で全コース制覇だね♪」
ゴンドラを降りてきた南くんに振り返って言うと
「帰りに温泉によって帰ろっか?」
なんてうれしいことを言ってくれる。
彼氏じゃないけど南くんとは気が合うんだよね。
もうだいぶ日が暮れかけてきたゲレンデには誰もいなくて、貸し切りみたいだった。
このコースを滑ればスキー場の全コースを滑ることになるから、ちょっと暗くなってきたけど無理して上まで上がってきた私と南くん。
これから滑るコースは夏場には道路として使われていて斜面がゆるやかな初心者コース。
だから、少しぐらい暗くても余裕で降りられる、うん、きっと大丈夫!
降り始めた雪に背中を押されるように、私と南くんは斜面を滑り始めた。
--16:20--
僕とひとみさんがこのコースを滑り始めて20分。
もしかしてコースを間違えたんじゃないかという思いが、首をもたげる。
気がついていないのか、ひとみさんは僕の少し前を気持良さそうに滑っていく。
最後にコースの表示があってから随分経つし、初心者でも20分で下れるコースだったはずだ。
僕らが下り始めてもう20分経つし、ふもとはおろかゲレンデの形すら見えないことはちょっと考えにくかった。
雪雲が低く垂れ込め雪が降り始めていた。
この分だと吹雪になるのは時間の問題だろう。
稜線に日が沈んで10分がたち、そろそろ完全な日没の時間になる。
僕らがどこかでコースを間違えていたとすると、厄介だ。
あそこのカーブにコース表示がなかったらひとみさんに言おう。
--16:45--
風と雪がひどくって、手で顔をおおっても前が見づらい。
さっき南くんから、コースを間違ったと思うこと、吹雪き始めた中を夜このまま下っていくのは危険なこと、降りてくる途中別荘が見えたからとにかくそこまで戻ろうと言うこと、僕がもっとしっかり見ていれば良かったのにごめんねと言われた。
何度か試したけれど、頼みの綱の携帯も電波が届かなかった。
ボードを担いでゆるやかな斜面を登るのも、南くんが前を歩いてくれるからなんだか安心していられた。
「あ、あれあれ。さっき降りてくるときに見えたんだ。」
吹雪で真っ白になった南くんが、振り返って別荘を指差してくれた。
「もう10分も歩けば着くよ。頑張って!」
「うん!」
ますます強くなる吹雪の中、南くんとふたりで別荘を目指しながら雪を踏みしめて歩く。
--17:00--
今回僕らは二人だけで来ていたから、僕らが帰らなくても誰も気がつかないだろう。
車が一晩スキー場にとめてあったところで、誰も不審に思わないことは誓ってもいい。
僕が別荘だと思ったのは山小屋のようで、人は誰もいなかった。
暗い山小屋は気持のいいものではなかったけれど、それはひとみさんには黙っておいた。
土間に薪が山盛りになっている所を見ると人の出入りはあるようで、懐中電灯があったのでそれをひとみさんに渡し、僕はだるまストーブに薪をくべた。
すぐに火がつき室内が照らし出され、僕はだいぶホッとした気持ちになる。
薪をどんどんくべると、無人の山小屋が少しずつ暖まり始めた。
スキーウェアを脱ぎ厚い靴下をストーブの前で乾かす間、持ち主には申し訳ないけど室内を探検させてもらう事にした。
電気も水道もガスも、それから電話も通っていない山小屋には、2Lのペットボトルに入った未開封の水が6本と、インスタントラーメンが1ケース、それにランタンとガソリンがあった。
僕がランタンに火をつけると、ひとみさんは明るいと言って喜んでくれた。
あのまま遭難しなくてよかったし、ふたりで一晩過ごすにこの山小屋はまぁ悪くないと思う。
--18:00--
携帯は相変わらず通じなかったけど、もうこのまま朝まで待とうと南くんと話をした。
お腹が空いたので、大家さんには悪いけどインスタントラーメンを2つ作った。
初めて作る袋入りのインスタントラーメンはなんだか化学の実験みたいで、南くんと一緒にお鍋から直接食べた。
ちょっとお行儀悪いけど緊急事態だし、南くんもそんなことはきっと気にしないと思う。
もし気にしていたら、ちょっと困っちゃうけど。
外の吹雪はますますひどくなってきたと、外を見に行った南くんが話してくれた。
「あのまま下ったら遭難したかもしれないね」
私がいうと、南くんはストーブに薪をくべながら
「明日天気が回復すれば帰れるから大丈夫だよ」
と言ってくれた。
そうだね、南くんといればきっと大丈夫だって、そんな気持になれるから。
安心しているね。
--20:00--
山小屋の中にあった毛布にくるまって、僕らはいろんな話をした。
僕とひとみさんは同じサークルの仲間で、仲はいいけど恋人じゃない、そんな関係。
「ねえ、雪女の話って知ってる?」
ひとみさんが唐突に僕に聞いてきた。
「吹雪の晩雪女が来てお父さんが殺されちゃうんでしょ?で、息子は殺さずに後から自分が奥さんになるって話。」
「そうそう。あの話ってさ、どう思う?雪女がお父さん殺しちゃうじゃない?だとすると当然お父さんのお墓があって、雪女もそこにお墓参りに行ったのかな?」
なんでこんな時に雪女のお墓参りなのか・・・ひとみさんは時々僕にはよくわからないことを言い出す。
でも、そこが面白くて好きなんだけど。
「仮にもお義父さんのお墓なんだろうから、お墓参りぐらい行っただろうね。」
「そのときってさ、雪女はどう思ったんだろう?自分の殺した男のお墓参りに行って、しかもその息子と結婚してるんだよ?」
難しいんだか難しくないんだか、よくわからないことをひとみさんは僕に聞く。
「どうなんだろうね。でも案外雪女の中では、別々のこととして決着がついていたのかもしれなくない?」
僕も自分でもなんだかよくわからない返答をした。
「こっちにおいでよ」
ひとみさんを誘うと、雪女について考え込みながらも素直に僕の毛布にもぐりこんできた。
ひとみさんのぬくもりを感じる。
「決着ってなに?」
真面目な顔をして僕を見上げるひとみさんの顔を見て、僕はそっとキスをした。
--20:30--
ずっとこうしたかったのかもって、南くんの腕の中で思う。
南くんの腕の中に抱きしめられるのがこんなに心地良かったなんて知らなかった。
もしかして私、今まで損してきたのかな?
しばらく黙っていた南くんが
「ずっとひとみさんのこと見ていたんだけど、知ってた?」
って言ったから
「知らない」
って答えた。
だって、私を見ていたなんて、そんなの知らない。
「いやだった?」
「イヤじゃないけど・・・。どうして見てたの?」
「気になってたから。」
「気になった?」
「嘘。好きだったから。」
「そうなんだ」
そう答えてちょっと笑った。
「私のこと好きだったの?」
「そう。・・・ダメだった?」
南くんの声にうっすらと失望の吐息が混じる。
「ねぇ。私達、逢えてよかったよね?」
そう言って、今度は私からキスをした。
逢えてよかったと思ってるんだよ、本当に。
南くんの背中に手を回し、髪をまさぐり、長い時間夢中になってキスを交わした。
思う存分キスをした後、南くんが私の顔をのぞきこむ。
「好き?」
そう聞く南くんの顔は恐いぐらい真剣で、また小さく笑っちゃった。
「人が真剣に聞いてるのに!」
南くんも怒ったふりをしながら、笑った。
答えはさっき言ったでしょ?逢えて良かったって。
それとも、私の言葉の意味は気がつかなかった?
「スキダヨ」
南くんの耳元でこそっと囁いた。
--深夜--
全てが幻の中の出来事みたいだった。
薪のはぜる音と、揺らめく炎。
僕らの吐息しか聞こえなかった。
ひとみさんの着ているシャツをまくりあげ、ブラジャーのホックを外し、そっと口付ける。
「あ・・・」
小さく上がったその声だけで、僕はドキリとした。
ひとみさんの体は温かくて、そして敏感だった。
もつれる長い髪と湿った肌が、炎に照らし出されてコントラストを描いた。
僕の腕の中には、やわらかく小さな彼女がいた。
夜はいつまでも続いた。
--05:00--
ぐっすりねむっちゃったみたいで自分がどこにいるのかわからず慌てると、隣りで眠る南くんの姿が目に入った。
そうだ。私、昨日ここで南くんに抱かれたんだ・・・
思い出して恥ずかしくなって、慌てて洋服に着替えた。
ストーブに薪を入れて部屋を暖める。
それからもう一度南くんの隣りにもぐりこんだ。
--06:00--
目を覚ますと、隣りにひとみさんの姿があった。
僕だけ服を着ていないことに気がついて、慌てて下着だけ身に着ける。
「おはよ」
僕の背中にひとみさんの声がかかった。
「おはよ」
僕も同じように返して、それから振り返ってひとみさんを優しく抱きしめた。
幻でも夢でもなく、僕の腕の中にいる彼女。
大丈夫、僕がきっと守るから。
安心して。
--エピローグ--
外を見ると、昨日の吹雪が嘘のようだった。
夜があけ辺りが太陽に照らし出されると、尾根の位置から僕らのいる現在地がおぼろげにわかった。
僕らはどうやら、スキー場とは反対側に降りてきていたらしい。
身支度を整え、手持ちのお金を少しと簡単な経緯と連絡先を書いたメモを残して、僕らは山小屋を後にした。
何かあれば山小屋の持ち主から僕に連絡が来るだろう。
昨日降った新雪が歩くたびに雪煙を上げた。
ボードを着けものの10分も滑り始めると、数件の人家が遠くに見えた。
近づいていくと除雪された道路に行き着き、『スキー場まで3KM』と書いた看板が立っていた。
「思ったより近かったんだね?」
ひとみさんにそう言われた。
「そうだね。でも・・・」
「でも?」
「遭難しなくてよかったでしょ?」
結果論かもしれないけど僕の判断は間違っていなかったと思うし、思いたかった。
彼女を危険な目に合わせる事だけは、絶対に避けたかったのだから。
「それに」
今度は彼女が言葉を続ける。
「たまには幻みたいなあんな夜もいいんじゃない?」
ひとみさんの言葉が、晴れ渡った青空に響いた。
今日はいい天気になりそうだった。