柏のむかしばなし ~手賀沼のかわぼたる~ | 食虫ちゃん♪

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前回の旧 手賀教会堂のすぐ近くが舞台の柏の昔話に訪問しました。

南部のお話

手賀沼のかわぼたる

むかしむかし、手賀沼が今よりもずっとずっと大きかった頃のお話しです。
手賀沼は川のように長かったため、沼と書いて「かわ」と呼び、沼向こうは「かわむこう」、沼仕事は「かわしごと」、沼越えは「かわごえ」と呼んでいました。
これは手賀沼によく出た「かわぼたる」と呼ばれた蛍のような青白い光の怖い怖いお話しです。

ある年の8月14日、手賀村の若者、孫六と弥平が手賀沼を見渡せる高台で話しています。
「なぁ弥平よ。今日は波も静かだから夕涼みもかねて日秀(ひびり)の盆踊りに行かねぇか」

「いやいや、お盆の日はかわごえはするなって婆さまが言ってたぞ、なんでもかわぼたるが出るってよ」
「なんだ、いしゃあかわぼたるが怖えのか?ほたるなんかなんでもねぇべ」
「いや怖くはねぇけどよ。まぁ早めに帰ってくりゃあ、大丈夫か」
「んだんだ、なら舟さ出すべ」
ふたりは、2隻の農舟に分かれて日秀村(現在の我孫子市日秀 の盆踊りへ行きました。

どれだけ時間が経ったでしょう。楽しく踊り終わって、いよいよ手賀村へ戻ることになりました。
船着き場から、孫六は枯竹竿、弥平は真新しい青竹竿を操って農舟をこぎだし、沼(かわ)中まで来たときのことです。それまで あんなにきれいな月が水面を照らしていたのに、急に真っ黒な雲が空を覆い、雨が降り始めました。
すると先に行く孫六の船竿の先端に青白く強い光の火の玉がとりつきました。
孫六はそれを一生懸命とり払おうと、必死で竿を舟にたたきつけたのです。
その音を聞いた弥平が見ると火の玉は砕けて水面で光り、なおも新しい火の玉と孫六がたたかっています。

そのうち、弥平の竿先にも火の玉がつきました。
竿先を水面で何度もたたき、運よく火の玉が消えたので弥平は必死の思いで 舟を手賀のかわばたにつけて一目散に家へ帰り、布団の中に潜り込んでしまいました。

次の日の朝、弥平の家の戸をどんどんと叩く音で目が覚めました。
戸を開けるとそこには孫六の両親が立っていました。
「うちのせがれはどうした?知らねぇか?」孫六が家に帰っていないことを知った弥平は昨夜のことを話しました。
それは大変だと、皆で沼へ行ってみるとあわれにも孫六は舟の近くで亡くなっていました。
いそいで孫六を引き上げたところ、頭には火傷のあとがあり、先端が焼けこげた舟竿が舟の中に投げ捨てられていました。

お盆の夜に、かわしごと、かわごえをするとかわぼたるに襲われる、手賀沼にはこんな怖いお話しもあったのです。

このお話しの舞台



舞台となっている手賀川にかかる水道橋に到着。
ここが手賀村と日秀村のだいたい中間になるわけです。沼中ですね。

現在の地図だとこの辺りは手賀川ですが…

古地図(明治初期)だと東側は今の手賀沼よりずっと広い! 今田んぼになっているところは全て沼です。これを2人は渡ったわけですね。

日秀村があった場所に来てみました。我孫子市湖北地区公民館。

日秀地区には観音寺と将門神社があるようです。盆踊りはどの辺りでやっていたのでしょうね。

観音寺

ここも平将門と関係があるようです。

本堂

あなたならやれる

断面が九曜紋に似ているためキュウリを輪切りにしないなど、面白いことが書かれてます。

首曲がり地蔵尊

成田山にそっぽを向いているお地蔵様
次は同じ日秀にある将門神社へ。

将門神社に来ました。

日秀地区にも将門の伝承は多いらしい。

森の中にあります。

参拝( ¯人¯)

賽銭箱がなんかかわいい。

再び手賀地区に戻ります。↑水道橋付近から📷️
 この田んぼが全部沼だったわけです。

numa cafeで昼食。

手賀沼を眺めながらランチできます。

そして手賀沼1周のとき行けなかった手賀沼観光リゾート満天の湯へ。

ここは源泉なんですね~。1日の汗を流しました。

今回の話は単純にホラー、怖い話でした。手賀沼にもこんな怖い話があるとは。お盆の日にかわごえはするなとの婆さまからの教えを守らなければならなかったですね。