柏のむかしばなし ~矢の橋に散った村雨丸~ | 食虫ちゃん♪

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2021年に加入した山岳会を今月で退会することにしました。片手で数えるほどしか山には行けませんでしたがいい思い出になりました。特に会津駒ケ岳は強く記憶に残りました。
月2回の例会にほとんど参加できず、係が回ってきてもできないので心苦しい感じがありました🥲 つまるところ、仕事と会活動を両立できないんですね。
会がきっかけでクライミング仲間もできたので良しとします🙂

 肘の怪我の治療を始めて1週間、最初よりは良くなりました。早く復帰したい…時間をもて余している…。




南部のお話

矢の橋に散った村雨丸

むかしむかし、藤ヶ谷城のお殿様である相馬胤吉(そうまたねよし)が小田原の戦いに出陣した際、海東八郎延隆(かいとうはちろうのぶたか)という武将といさかいになり切ってしまいました。
ところが相馬胤吉に討ち取られた八郎には14歳になる子がいたのです。
その名は「村雨丸延乗(むらさめまるのぶのり)」。
村雨丸は父のかたきうちのため旅に出ました。

胤吉を追いかけ「芦椛(ろか)橋(その後の矢の橋)」までたどり着いたとき、村雨丸は重い病にかかっていました。
村雨丸は、守り神の如意輪観音の像をまくらもとにおき、父のかたきうちを願いつづけると、観音さまが夢の中にあらわれ、「腹の中に私を納めた聖徳太子像を作ってまつりなさい。そうすれば願いはかなうだろう。」また「人々に拝ませなさい、商売の神となりましょう。」とつげました。
おつげにしたがい、残りの気力をふりしぼり太子像を作りあげて気を失ってしまいました。
そこに、武士の一団がとおりかかり、倒れた若者に武将が声をかけました。
声をかけた武将はなんと、村雨丸が捜し求めていた胤吉だったのです。
胤吉は村雨丸からこれまでの事情を聞くと、「我こそ御身の父御を討った胤吉だ。一太刀討って父に手向けよ。」と言いました。
これを聞いた村雨丸は目に涙を浮かべ「私の願いは神に通じました。そして今あなたのお言葉を聞き、恨みも消えました。
私の命ももうこれまでです。」と笑って橋の下の金山落しに飛び込んでしまったのです。
それを見た胤吉は「我も同道せん」といって川に飛び込もうとしましたが家来の者に止められました。村雨丸が遺した守り袋には「平貞盛末葉」と書かれていました。

中台(現白井市)に移った胤吉は僧になり、「善真」と名を改め、村雨丸のために墓を建て聖徳太子像をまつり、海東父子に法華経を二部、書写奉納しました。
その場所が、「村雨山」「二部山」(白井市西白井)と伝わっています。
その後、里人たちが仮のお堂を建てて聖徳太子像を安置しましたが、やがて白井市富塚に移転し、1593年6月に「急雨山延乗院」となり、今は「急雨山圓乗院西輪寺」となっています。

舞台となった矢の橋(旧芦椛橋)は暗渠(あんきょ)となった金山落しの上の鮮魚街道のところです。尚、最後の矢の橋に使われた1737年製の橋梁材(石橋)が柏市役所沼南庁舎前に飾られています。

このお話しの舞台



金山落としとは地図↑にある用水路の名前です。地図でもわかるように交差点付近が今は暗渠になっています。
古地図とランドマークを重ねて見るとなるほど、セブンイレブン沼南藤ヶ谷店の南側に鮮魚街道があり、下を金山落としが通っていますね。
鮮魚街道(なまかいどう)とは…

 

↑解説はここ

我孫子の布佐河岸から松戸河岸に海産物を運ぶルートですね。布佐河岸は1月の「食べかけ雑煮」で行った木下河岸から近いです。



セブンイレブン沼南藤ヶ谷店からスタート!
よく晴れてるけど寒い🐧

まず金山落としの北側を見てみる。
駐車場から北を向いたところ。道を渡ります。

これが金山落とし。用水路とはいえ、広いし深そう…ここに重病で落ちたら溺れますね。

一旦戻ってきました。奥の右に入れる道が鮮魚街道です。

ここが鮮魚街道、そしてこの下に金山落としが通っています(暗渠)。つまりこの辺りが村雨丸が飛び込んだ場所になります。
ちなみに今撮影のために立っている場所が柏市と白井市の境になります。ちょうどぴったり金山落としで分けられているんです。

すぐ南側はまた金山落としが表れます。こちらはコンクリートで作り直されてます。
鮮魚街道を少し歩いてみましょう。
少し西に歩くと鮮魚街道常夜燈があります。休憩や水切り場として賑わったようです(。-ω-)
柏市指定文化財
 



むかしばなしの名が残る公園もいくつか発見したので廻ってみます。
藤ヶ谷矢の橋公園
柵が邪魔でうまく撮れない😅
ここまでは柏市、ここから南の住宅地に歩きます。

村雨公園
ここは白井市、この辺りは新しい住宅地です。

二部山公園
ここも白井市
矢の橋、村雨、二部山、どれも住所としては残ってません。昔話に出てくる呼称が公園の名前になっているのは今までも何度もありましたね( ・∀・)♪

ぐるっと廻って今度はセブンイレブンの北側へ国道16号を渡ったところにあります、話にも出てくる西輪寺。旗は「しろい七福神」🏳️

話では移転してここに来たとのこと。

聖徳太子像は中にあるらしい。

昔話巡りを始めてからいくつの寺・神社に来ただろうか。どこも時が止まっているかのような感覚になる。

すぐ近くは金山落としです。橋の上から📷️
これをずっと北に行くと隠れた桜の名所があるらしい🌸

14歳でかたきうちのために旅に出るとは村雨丸には過酷な旅だったでしょうね。小田原の戦いからして、そちらから歩いて藤ヶ谷まで来て、病気になってしまうとは(;ω;)
胤吉はかたきうちを受け入れ、村雨丸はそれで恨みが消え、堀に身を投げてしまう。さらに胤吉はその後を追う行動をとる。
村雨丸はずっとかたきうちのことだけを考えて旅を続けていたのでしょう。このあたり、現代でも刑事ドラマとかでもつくれそうです。なんという人格者なんだというか…この話は深く考えさせられます。

後から藤ヶ谷城跡の情報を見付けたのでまた書きます。柏市役所沼南庁舎前の石橋も。