私が通っていた小学校は、その辺りの地域でも特に生徒が多いマンモス校で
1クラス32人、全学年5クラスありました。
生徒の多い小学校でしたが、支援級にいた子は全学年でたったの3人。
今思えば少な過ぎやしないかと思いますが、4年生からその内の一人が私と同じクラスに在籍していました。
Aさんはダウン症で、全く発語が無い子でした。
同級生は自分達との違いにとまどい、見て見ぬふり。
いじめるとかからかうとか、そういうのは全くない。
「見てはいけない」「関わってはいけない」という感じ。
Aさん担当の先生が、父の大学時代の後輩だった事もあったので、知った顔でした。だから私はAさんについて色んな質問をしました。
「なぜ話さないの?」
「よだれ出てるのはどうして?」
「字は書けないの?」
「声は聞こえてるの?」
「話してる事はわかるの?」
「外国人?」
その先生は、丁寧に答えてくれました。
もしその時「そんな事言っちゃいけません」とか言われていたら、ダウン症のAさんは、私の中で謎の存在のままになっていたでしょう。
そして謎の存在のままだったら、同級生達と同じ「なんかやだ」「怖い」「見ちゃだめ」になっていってたと思います。
Aさんは話せないだけ。
よだれは出ちゃうだけ。
字は書けないだけ。
話してる事がわからない事が多いだけ。
「じゃあ〇〇君が解ける問題を僕が解けないのと同じやね」
そう言った時の先生の顔が、大きな目がより大きくなって、なんか面白かった。
別に我が子の障害をわざわざ公表する必要は無いのかもしれない。
でも、子供の障害を必要以上に隠そうとしたり、傷つかないように予防線を張りすぎてる親御さんを散々見てきました。
受け入れようが受け入れなかろうが、その子は変わりません。
それは定型発達の子だって同じ事。
東大に行った同性愛者の友人なんか、親から受け入れられず勘当されてます。
『そんなん言うても仕方ないやんなぁ』って言ったら
「ほんまそうよ!やっぱお前は流石やな」とよくわからん事言われましたが、まぁ、それと同じでしょう。
「この子はこういう子」って思えた方が自分が楽。
自分じゃないんだから、感覚が違って当然。
自分の理想をぶつけたって仕方ありません。
私だって「どうして眼鏡が必要なくらい視力が悪いの!」って親に言われたら困りますしね(笑)
正論だよ。って言われた事もあります。
でも、「正論」ってわかってるなら、理解する工夫をなぜしないのかって思います。だって正論ってわかってるって事は、「正しい」ってわかってるんでしょう?
色んな事知って、色んな事聞いて、色んな考えもって、もっと楽になりましょうよ。
話逸れちゃいましたが、Aさんは今どうしてるんでしょう。
中学校からは別の学校になったので、支援学校に行ったんでしょうか。
もしかしたら、弊社がお手伝いした方のグループホームに住まれてたりするかもしれませんよね。
二人の障害児の父
すけじろう
~障害者グループホーム開業・経営支援をしています~
開業についての相談・サポート、開業後の営業、書類関係、家探し、全てお手伝いします。
特に、私と同じ障害児育児中の親御さんからのご連絡はとても嬉しいです。
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