桜の開花期も近いが、美しい桜を見るならやはり大和郡山の郡山城跡が打って付だろう。近くを走る近鉄橿原線の車窓からも、その桜と郡山城跡が見えるもので、3月下旬から2週間ほど行われる「お城まつり」の時期がグッドタイミングと言える。
城跡というように天守閣は今は存在せず、復元された追手門、隅櫓、多聞櫓などが往時を偲ばせる。天守台の石垣には、さかさ地蔵、羅城門の礎石など、転用石が多い。またそこには、県指定有形文化財で大和郡山市民会館(明治41年建築の旧県図書館)が、昭和45年移築保存されており、奈良県の近代産業遺産(または近代化産業遺産)として一番に思い浮かぶ建造物だ。設計は橋本卯兵衛氏で、木造瓦葺二階建外観は日本古代建築を模した堂々とした建物となっている。
そんな大和郡山で、最近になって織田信長に仕えた戦国大名、筒井順慶の居城だった筒井城跡で、16世紀後半に埋め戻されたとみられる掘の遺構が発見され、市教育委員会が3月11日に発表した。城の取り壊しを命じた信長の「破城令」で天正8(1580)年に埋められたとする当時の文献の記述を裏付けており、信長の破城政策を知る上で貴重な発見とされる。
近代産業遺産は、このように明治・大正・昭和の建造物や構造物のみを外観だけで見るのではなく、そのものがどういう時代背景や物語を伴なってそこに存在するかが重要であり、また建物が建つ土地(地域)そのものを探求することで新たな観光・産業の資源掘り起こしとなる。私はそれを時空間の記録と記憶と呼んでいるが、近代産業遺産を媒体に過去にも、また未来にも目を向けることが現在の近代産業遺産の存在意義と保存・活用の最適な方策を考え出すことになると言える。
その意味で大和郡山は、この郡山城跡を核として、その眼下に広がる城下町そのものが大きな魅力を秘めていると言う。奈良県内で唯一、城下町としての形態を持つ自治体であり、そこには観光と産業の記録と記憶が残されている。そんな大和郡山の近代産業遺産を次回も紹介しようと思う。まずは今日はここまで…。
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