久し振りに帰った家はひどい有り様だった。
これはかつて庭だったところだが、家の中に入ってみればそれはそれで似たりよったりか。
それでも一年前までは子供が一人で住んでいたんだが…。
よくここに住んでいたよな〜!と思わず口にしてしまった。
まだポツリポツリと花をつけていた玄関前の梅の木は、これが最後になることを知ってか知らずかいつものように変わらずにそこにあった。
にしても、無鉄砲に枝を上へと伸ばしているその姿は、そろそろ剪定してくれないと困るよと俺に訴えかけている。
この気持ちはなんて言えばいいんだろう。
ただうつ向いて、枝の下をくぐり抜けて行く事しか出来なかった。
玄関横の庭(だったところ)を見てみる。
窓際の単独でも実を付ける、小さな桜の木の蕾が膨らみかけていた。
壊れた門扉と雨に濡れて光る玄関前も荒れ放題になってしまった。
これは全て俺の責任。
ただひたすら自分を責める雨が降り続く。
相談した庭師の言う通りに、どうしていいのか解らぬうちに、小さな桜の木を一本だけ残して切ってしまった。
この時点ではまだあるが、庭石も灯籠も全部撤去する事になった。
あの玄関前の梅の木もあっという間に根本から無くなった。
いつの間にか季節は進み、庭に一本だけ残った桜の木の花が咲き始めた。
寂しい気持ちが締め付ける。
心の中の景色があっという間に思い出へと変わってしまう。
そんな事を知ってか知らずか、小さな桜は今年も青空に向かって花を咲かし始めた。
何もなくなってしまったか…
気を取り直して港に向かって車を走らせている途中、綺麗な富士山が目に入る。
子供の頃から見慣れた山だ。
そこにあって当たり前のものが無くなってみると、初めて自分の中にあった風景が懐かしくなる。
またこの港にやってきた。
50年以上も前から何かあればいつもここにやってきた。
釣りにハマった小学生時代。
そして美術部に入った多感な時期も、この港の絵を何年も描いていた。
それぞれ違いはあれど、みんな色々な景色を心の中に映して暮らしている。
それは一つ一つが大切で、失くした時には心が締め付けられて途方に暮れてしまうものばかりだ。
これはセンチメンタル・ジャーニーか?
違うと思う。
これは今の自分の生と息を確認する旅。
歳を重ねないと分からない事もあるさ、それでも今日を生きてるなんて。
歳と共に希望と期待は別れと諦めに入れ替わる。
そんなのみんな同じだ。
それをどう捉えて今日を生きていくのか、明日に向かって何をするのか。
そのアウトプットだけが違って見える。
自分の今吐いている息を感じてみる。
自分の今吐いている言葉を確認してみる。
それは自身の「心の景色」そのものだ。
聴き飽きてしまったあの曲をもう一度聴いてみる。
心の景色は何度でも「今と明日」の自分を問い直してくるから。
な〜んて思ったりするんだよ、時々ね (・∀・) !wブハッ
↑こいつはどうせすぐ消されちゃうからもう一曲入れとくか !