'79年作品。

トム・ワーマンが再びプロデュースした通算五枚目になるアルバム。

前作『at武道館』の大成功により日本で先行していた人気が全世界に拡がり、待望される中で発売されたヒット作です。

やはり覚えやすいメロディ・ラインとそれを支えるコーラス、ストレートなロックンロール・スタイルが好きです。





Angus Young(Lead Guitar)

ブレザー、半ズボン、ハイソックスにランドセルを背負ったスクールボーイスタイルがトレードマーク。

コンサートの際、仰向けに倒れてクルクルと足を使って時計回りに回転したりするパフォーマンスで有名で、控えめなマルコム・ヤング(兄)に比べてステージでは常に主役になっている。

またプレイ中も、両足をガクガク震わせるようにしてリズムを取りつつ、天然パーマの頭を振り回すのも有名。

ギターはデビュー以来、一貫してギブソン・SGを使用。



アルバム総売上は、アメリカ合衆国だけで7100万枚に及ぶ。

全世界のアルバム総売り上げは、2億枚以上。



凄いことに、縁の地・メルボルンにあるコーポレーション通りという名前だった通りが、彼らの功績を称え、敬意を表して、同市議会によってACDC通りと改名されたそうです。




marcy_coolpixのブログ-AC/DC 01


過去に「第1回信長戦国歴史検定」「第1・2回日本城郭検定」「第1回伊達政宗戦国歴史検定」の
いずれかを受験したということで、案内通知が届いていました。


内容は、「第1回真田三代戦国歴史検定」&「第1回伊賀忍者検定」の検定試験の案内でした。


現在「忍者」には興味がありませんので、パスなのですが.....


「真田三代」は、チャレンジする予定でテキストも買っていますが、フリータイムが取れるのか困難な状況になっています。


勉強の進捗状況というと、梅雨前線のように停滞中でありんす。




marcy_coolpixのブログ-真田三代01




「第1回真田三代戦国歴史検定」は6月11日に締め切りになっているようですが、延長して受付をするようです。



marcy_coolpixのブログ-真田三代02

marcy_coolpixのブログ-赤壁の戦い




曹操軍は劉備が狙っていた江陵(こうりょう)を制圧した。こうして長江(ちょうこう)の要所をおさえると、さらに長江を下り、陸口(りくこう)を目指した。陸口は水陸の交通の要(かなめ)だった。

敗走した劉備は夏口(かこう)でとりあえず落ち着き、戦略の建て直しをはかった。
単独で曹操軍と戦うのは、もはや不可能だった。劉備は孫権と同盟を結ぶことを決め、諸葛孔明が使者として孫権のもとに出向き交渉、同盟が成立した。

曹操軍は、制圧した荊州(けいしゅう)の兵も編入され、その数、二十万に達していた。
対する孫権・劉備連合軍は五万でしかないが、もともと孫権の呉(ご)は水軍の強さでここまできたような国だった。それに対して北での戦いに明け暮れていた曹操は騎馬部隊での戦いが得意で、水軍での本格的な戦いには慣れていなかった。
戦いは長期化しており、兵たちは疲労していた。

 そんな背景のもと、両軍は、長江の南岸、赤壁でついに対峙した。

曹操軍は長江に船を並べ、それを岸に連結させ、水上の大要塞を築いていた。船が揺れて船酔いする兵が多かったので、つなげることで揺れを少なくしていた。これが、致命的な失敗につながる。さらに、疫病が流行りだし、南の孫権軍の兵たちには免疫があったが、北からの曹操軍の兵士たちにはそれがなく、病に倒れる兵が多かった。だが、もはや、引くに引けない。

 孫権軍の参謀、周瑜は、曹操軍の船が密集し、さらに繋がっていることから、焼き討ちにすれば、一瞬にして壊滅できると考えた。だが、火を放つにはかなり近づかなければならなかった。

 そのころ、孫権軍の老将、黄蓋(こうがい)が密かに曹操と通じていた。「折りをみて投降したい」というのだ。最初は疑った曹操だが、これを信じることにした。

 だが、これが周瑜の謀略だった。

 十二月だったが、その日は快晴で日中は暑いくらいだった。夜になると、東南の激しい風が吹き出す。周瑜は、今夜だ、と決断した。黄蓋は十艘の軍船に薪と油を積み、長江を進み、曹操軍に近づいた。そして、全員が「投降する」と叫んだ。
曹操軍は、かねてからそのときがくるのを知っていたので、何の警戒もせず、黄蓋の船を進ませた。「今だ」と黄蓋が点火を命じると、船は炎上、そのまま曹操軍の真っ只中に進んだ。火達磨となった船が水面の要塞を襲う。それぞれの船は繋がれていたため、自由に動くことができない。次々と燃えるだけであった。

 兵たちは次々と焼け死ぬか、河に飛び込み、溺れ死ぬかだった。
 
その火は岸にあった曹操軍の陣営にまで延焼。曹操は誇っていた水面の要塞が燃え上がるのに呆然とする間もなく、ひたすら逃げた。

 その逃避行は四日に及び、沼にはまり命を落としそうになるなど、散々な目にあい、まさに命からがら、江陵に辿りついたのであった。

 こうして、曹操の河南制圧の野望は潰れたのである。

この赤壁の戦いにおいて、諸葛孔明が東南の風を吹かせるなどの大活躍をしたかのように「演義」では描かれているが、史実としては、孔明はこの戦いには、まったくかかわっていない。



この戦いは、

陶晴賢軍の船団の規模は500艘、兵の数は2万とも3万、毛利軍の兵数は4千から5千程度と伊予の村上武吉・村上通康ら伊予水軍約300艘で戦った「厳島の戦い」を思い出しました。


ご飯の数え方

お米    稲として植えられている状態では、「株」
     
       刈り取れば、「把」や「束」

       精米すれば、「俵」 で数える。

       でも、今はビニール袋に入ってスーパーやドラッグストアなどの棚に並んで
       いるので、一袋、二袋とも数えられています。



野菜と果物の数え方

キャベツ  土に根付いているときは、「株」

       収穫したものは、「個」でも数えますが、丸い形状から、「玉」を使って
       一玉、二玉と数える場合が多いです。
       巻いた葉をはがしたときは、「枚」を使う。



干し柿   実をひとつずつ数えるなら、「個」や「玉」を使うが、いくつかをまとめて
       吊るした状態だと、「一連」「二連」と数える。
       首飾りのように、連なったものや編んだ物を数えるときも「連」を使う。



魚と肉の数え方

筋子    鮭や鱒の卵を、卵巣に包まれたまま塩漬けにした筋子(すじこ)は、一腹、
       二腹と数える。
       魚卵を数えるときには、「腹」を使うことが多い。
       筋子をばらばらにほぐすとイクラになり、そのひとつひとつは「粒」で数える。



白魚    魚一般に使われる「匹」のほかに、一条、二条、一筋、二筋と数えることも
       ある。
       白魚が細長い形をしていることから、細く長いものを数えるときに使う「条」
       「筋」が用いられるようになった。



肉     切り分けによって、数え方が違ってくる。
       豚バラブロックのように大きなものは「本」「塊」、薄くスライスした場合
       は「枚」、スペアリブのように骨付きの肉は「本」、細かく切り分けたもの
       は「個」「切れ」、ミンチにすると、「グラム」で数える。



お菓子の数え方

ケーキ   切り分ける前の丸いケーキは、一台、二台、切り分けたケーキは、一個、二個
       、もしくは一人前、二人前と数えます。
       また細長い形のパウンドケーキは、その形状から一本、二本と数えることが多
       いようです。
     


羊羹    細長い形をしていることから、「本」で数えるのが一般的。
       切り分けると、一切れ、二切れと数える。
       もしくは、羊羹やういろうのように細長い菓子が棹者(さおもの)菓子と呼ば
       れることから、一棹、二棹と数えることもあるようです。




一株、一把といったおなじみのものから、「え~~、これ何?」と思うようなものまで、食材の数え方は色々ありますねぇ~~~。

えぇ~~~、今更、人に聞けない?

そんな殺生なこと言わんといてぇ~~~







marcy_coolpixのブログ-羊羹01
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