Hello Everybody ALOHA!!
このブログは私、ロックフィールドが気になっている様々なトピックスをアロハスピリッツ満載でお届けするブログです。
2024年9月7日 第二回目は「ロックフィールドとMacの協奏曲」です。
もし、パソコンのOS 選ぶなら Mac ?ウインドウズ?と聞かれれば、断然Macと答えます。
というお話です。
私はいわゆるApple信者というやつです。
通っていた小学校が三年生の時に建て代わり、コンピューター教室が設置されました。その中に置かれていたパソコンはがMacでPerforma520やLC IIがありました。
4年生になると、キッドピクスやハイパーカードを使った授業があり、そこからMac 一筋。
自宅には母親がパソコン教室で習っていた PC9801があったのですが、当時はWindows 9 5の登場前です。PC9801はかわいくない。起動するにも何をするにもコードを入力必要があるのです。Mac なんて起動画面からコンピューターにお顔がついてるキャラクターがハローとか言ってくれる。起動後のデスクトップもアイコンで表示されてるからわかりやすい。今では当たり前のゴミ箱だってある。いらないファイルはゴミ箱へドラッグ&ドロップ、、、わかりやすい。
そんなわけで、親にねだって Performa520を我が家にも買ってもらいました。ありがとう、ダディ、マミイ。
初期設定的は親とやっていたのですが、パソコン教室に通ってた母親はあまりの簡単さに拍子抜けしていたのを覚えています。
Performa520では、ミニゲームがたくさんはいったFDだかCDを買ってもらっているいろ遊んでたなぁ。中にはパズルや神経衰弱を解くとちょっとだけアダルティな絵が出てくるゲームもあったっけ。
その後、MacにPowerPC が搭載されて、我が家のパソコンもテレビ、ビデオポートのついた Performa5420に買い換えられました。
Performa5420は黒色ボディのかっこいい筐体です。
カシオのデジタルカメラ QV-100も買ってもらい、Performa5420に繋いで、撮った写真を見たり、ビデオデッキと繋いで、好きな場面をキャプチャーして壁紙にしたりしていました。
初めてWindowsをまともに触ったのは高校に入ってからでした。
たしかC言語を使った簡単なプログラムを作る授業を選択したのがきっかけです。
操作性の違いもありますが、起動音ひとつとっても、やはりMacならいいのになぁと思う場面が多かったのを覚えています。高校には Windows の部屋の横にMacを置いてある部屋もあり、さらには放課後クラブに「Macintosh 部」なる部活もあったのです。正式なメンバーではなかったのですが、ホームページを作ったりして遊んでいました。
高校三年生の夏、合宿で車の免許を取得することになりました。
その勉強のため、という名目で(笑)バイト代をつぎ込んで、iBook(dual USB)を購入しました。
白いポリカーボネイトの筐体になったばかりの頃です。
USBにDVD スロットと盛りだくさんな機体でした。たしか、docomoのFOMA端末とつなげてインターネットに接続もしていました。合宿所は一人部屋のビジネスホテルだったので、夜は好きな音楽やDVDを鑑賞して過ごしていました。勉強もしました。
趣味のサバイバルゲームをデジタルビデオカメラで撮影して、映画調に編集した動画は、仲間から大変喜ばれました。
社会人になって、やはり Windows 機が必要となり、職場の先輩に頼んで秋葉原の中古ショップに連れて行ってもらい、パナソニックのレッツノートの小さいやつを購入しました。
職場の系列会社が発行している、書類のテンプレートや顧客管理のアプリを入れて、自宅でも仕事が進められるようにしました。
ところが、別の支社でWinny を起因とする情報漏洩が発生、あれよあれよという間に私物パソコンの業務使用が禁止になってしまいました。
そうなると、自分のやりたいことで、手持ちの Windows 機にできて、Macにできないこととなれば、当時流行していた艦隊これくしょんくらいなもんで、ゴミ同然となったレッツノートですが、そのまま処分することに。
でも社会人だし、自宅(寮)にパソコンを置きたい、、、、
そうだ Mac買おう。
と、いうことで、MacBook(Mid2007)を購入。このとき白と黒の二色が選べたのですが、iBookで白い筐体に慣れていたこともあり、黒がかっこいいけど、後ろ髪を引かれる思いで白を選択。
この時、黒を選択しなかった後悔が、今、M3 MacBook Airのミッドナイトを選んだ要因にもなっています。
また、USキー配列のMacを手にしたのも人生初の試みでした。
そして、このMacBook(Mid2007)に任された重要な作業が2008年から日本で発売されたiPhoneの母艦としての役割。
iTunesを通じてiPhoneのバックアップをとる。これが本当に大事でした。
2010年頃になると、Nikonのデジタル一眼レフカメラを片手に空港や風景を撮りに行ったりして、Apple純正の写真アプリ「Aperture3」でRAW 編集なんてこともやっていました。
その後、結婚して、一軒家を持つと、小さいながらも自分の作業部屋みたいなのができて、デスクトップパソコンへの憧れが湧き上がります。
Performa5420以来のデスクトップ機となると、やはり一体型デスクトップがほしい。
ということで、iMac(late2015) 21インチモデルを購入。
CPUはインテル core i5、メモリは16 GB、Magic Keyboard(US配列)、Magic トラックパッド、という構成。
主な使用用途は年賀状作成、区役所への各申請用紙の印刷などになにますので、正直、スペックとしては十分なところではあります。
写真についてはAperture3が開発終了してしまったこと、iPhone のカメラ性能が年々上がり続けていることで、デジタル一眼レフを持ち歩く時間が減ったことなどから、iPhoneで大量の写真を撮る。編集もせずに写真アプリへ保存という作業になっていきました。
家が広くなった弊害もあって、リビングで過ごす時間が大半を占め、その間は iPhoneでブラウジングやメールのやりとりを済ませてしまうので、わざわざ作業部屋に籠もってiMac で作業する機会が思いっきり減りました。
その後、引っ越しをして、町内会の班長役を仰せつかると、年に数回、iMacの前にいる生活から月に一回 iMacの前に座る生活になっていきました。しかし、所詮はスキャナーで取り込んだ資料を自塗りで消して、再印字したり、町内清掃のお知らせのチラシを作ったりする程度のことなので、スペック面での不安はありませんでした。
ただ、いかんせん9年前のMacともなりますと、OSのアップデートからも取り残され、ついにセキュリティアップデートの打ち切りも秒読み段階に入ってきました。
さすがにセキュリティ面に不安をかかえたくはないので、買い換えをと思っているところ、MacBook Airが突如アップデートされました。
10年近く Mac の情報を追っていなかった私は、iMacが24インチオンリーになったこと、Mac studioなんてジャンルができていたこと、MacBook Airが11インチじゃなくなっていることにえらく驚きました。
とくにAirはM2チップ以降の四角い形状になったことを知り、シンプルで薄く、しかも15インチ画面までラインナップされていました。
Air なのに画面サイズが選べるとは驚きでした。
私の常識では、ラップトップは性能面でどうしてもデスクトップマシンの下位互換的な立ち位置でしたし、持ち歩かなきゃいけない人以外はみんなデスクトップありきなイメージでした。
ところが Appleシリコンが登場し、M1チップが出てから、性能面でデスクトップとラップトップの差がかなり縮まったことを知り、今回はMacBookAir を選択してみました。
画面サイズは21インチからダウンするのは必然なので、より大きめの15インチを選択。
カラーは MacBook(Mid2007)のリベンジでミッドナイトを選択。
こうしてブログを始めるまでになりました。
長々と書いてきましたが、これが私とMacの付き合いの歴史となります。
Apple信者の数だけ、歴史がある。
もしよろしければ、コメント欄であなたとAppleとのヒストリーを教えてください。
see you again MAHALO〜