田原町から乗った福井鉄道の電車は、南下して先ほどの福井駅の前(といっても500mくらい西だが)を通り過ぎ、足羽川を渡る。

木田四ツ辻で電車を下りる。

こちらが今回、福井へ来た目的。ただ、駅が目的地ではない。
母方の祖母の母、つまり曽祖母が福井で生まれたということで、どのような場所なのか見てみようと思ったのだ。
この近くが、曽祖母の出たところというので来てみた。母方の祖母の母にあたる人のもとの住所を知ったのは、ある調べごとに関して戸籍を取り寄せたからだ。
「福井市氷川町○番地」となっている地名は、いま存在しない。
このあたりというのは何となくしか判らず、行く前に県立図書館へ問い合わせてみた。電話でかいつまんで説明すると、あとから折り返して連絡があったうえ、さらに詳しく知りたい場合はレファレンスサービスへと案内してくれた。さすが、「覚え違いタイトル集」このようなページまであるところだ。
メイルも送ったものの、結局番地は特定できなかった。古い話でもあり、まあしょうがない。地名が変わる前、昭和30年代の住宅地図は確認されたようだが(当時すでにあったとは意外)、番地が規則的に並んでないようで、ここという場所までは行き着かない。ただ、福井銀行の支店など、参考になりそうな物件をいくつか教えてくれた。
さて、下りてみてから、銀行の支店は通り沿いなので難なく見つかるが、周りをどう探ってみるか。ひとつ足がかりになりそうなのが「木田神社」だが、そこへ行く前に、やはり通り沿いで開いている店があった。入口のすぐそばにレジがあり、おばあさんが座っている。もしかしたら、知っているかもしれない。
こわごわドアを開けて挨拶をし、こちらへ来た意図を告げる。
氷川町だった頃も知ってはいるが、当時の番地までは覚えてないとのこと。住所が変わったのですら、半世紀ほど前である。
古くからいるとすれば、ということで、Kという曽祖母の旧姓を挙げたら、そこにKさんという家があって、以前は薬屋をやっていた…というのを聞いて、「これは当たりだ」と思った。
曽祖父は医者をしていて、何かその辺のつながりで結婚したような話を聞いたことがある。
さらに店のおばあさんは、「昔の話であれば、知っている人は、お寺の方にいるが、今は施設に入っているかもしれない、あるいは曲がったところの○○さんが…」とも。まあおそらく、そちらを訪ねたらすぐ判るのだろうが、何せこの時間である。仮に、どこかで訊いたところで、直接知っている人などいるはずもないのだ。
果たして、聞いたほうへ歩いてみると、Kという表札の家があり、看板の文字を消した跡のある建物が棟続きになっていた。ここで間違いないだろう。
近くの木田神社にも詣でてみる。


まだ早い時間だから、人の姿はなかった。
それにしてもありがたいのは、H食品店だ。来たのが日曜だったら、開いてなかっただろう。それに、違う時間帯だったらほかでも人はいるかもしれないが、的確な答えにたどり着けたか、なんともいえない。
とりあえずは来ただけのことがあったと満足した。
90年も前に亡くなった、見知らぬ曽祖母のことを思うと切なくはなるが。

木田四ツ辻で電車を下りる。


こちらが今回、福井へ来た目的。ただ、駅が目的地ではない。
母方の祖母の母、つまり曽祖母が福井で生まれたということで、どのような場所なのか見てみようと思ったのだ。
この近くが、曽祖母の出たところというので来てみた。母方の祖母の母にあたる人のもとの住所を知ったのは、ある調べごとに関して戸籍を取り寄せたからだ。
「福井市氷川町○番地」となっている地名は、いま存在しない。
このあたりというのは何となくしか判らず、行く前に県立図書館へ問い合わせてみた。電話でかいつまんで説明すると、あとから折り返して連絡があったうえ、さらに詳しく知りたい場合はレファレンスサービスへと案内してくれた。さすが、「覚え違いタイトル集」このようなページまであるところだ。
メイルも送ったものの、結局番地は特定できなかった。古い話でもあり、まあしょうがない。地名が変わる前、昭和30年代の住宅地図は確認されたようだが(当時すでにあったとは意外)、番地が規則的に並んでないようで、ここという場所までは行き着かない。ただ、福井銀行の支店など、参考になりそうな物件をいくつか教えてくれた。
さて、下りてみてから、銀行の支店は通り沿いなので難なく見つかるが、周りをどう探ってみるか。ひとつ足がかりになりそうなのが「木田神社」だが、そこへ行く前に、やはり通り沿いで開いている店があった。入口のすぐそばにレジがあり、おばあさんが座っている。もしかしたら、知っているかもしれない。
こわごわドアを開けて挨拶をし、こちらへ来た意図を告げる。
氷川町だった頃も知ってはいるが、当時の番地までは覚えてないとのこと。住所が変わったのですら、半世紀ほど前である。
古くからいるとすれば、ということで、Kという曽祖母の旧姓を挙げたら、そこにKさんという家があって、以前は薬屋をやっていた…というのを聞いて、「これは当たりだ」と思った。
曽祖父は医者をしていて、何かその辺のつながりで結婚したような話を聞いたことがある。
さらに店のおばあさんは、「昔の話であれば、知っている人は、お寺の方にいるが、今は施設に入っているかもしれない、あるいは曲がったところの○○さんが…」とも。まあおそらく、そちらを訪ねたらすぐ判るのだろうが、何せこの時間である。仮に、どこかで訊いたところで、直接知っている人などいるはずもないのだ。
果たして、聞いたほうへ歩いてみると、Kという表札の家があり、看板の文字を消した跡のある建物が棟続きになっていた。ここで間違いないだろう。
近くの木田神社にも詣でてみる。



まだ早い時間だから、人の姿はなかった。
それにしてもありがたいのは、H食品店だ。来たのが日曜だったら、開いてなかっただろう。それに、違う時間帯だったらほかでも人はいるかもしれないが、的確な答えにたどり着けたか、なんともいえない。
とりあえずは来ただけのことがあったと満足した。
90年も前に亡くなった、見知らぬ曽祖母のことを思うと切なくはなるが。