国立博物館の「孫文と梅屋庄吉 100年前の中国と日本」展、4日までなので行ってきた。
台風12号の影響で空は定まらないが、さほどの雨でもなかったので、歩いていくうち結局上野まで…
藝大の前を通ったら、そうか藝祭なのか。しかし先に歩き回っては時間が無くなるし、ちょうど日が出て暑くなってきていたのでパス。
旧博物館動物園駅の懐かしい入口そばに特別展の立て看板。

香港で写真館を成功させた梅屋庄吉は1895年、孫文と出会って意気投合。「一刻も早く、君は革命の兵を挙げよ。我は財を挙げて支援しよう」と、現在の価値にして1兆とも2兆ともいう資金を提供したのだとか。孫文だけでなく、彼と主張を異にする者、袂を分かった者などでも数多く梅屋が面倒を見ている。
また、孫文と宋慶齢の仲を取り持ったのは梅屋夫妻だった。彼らの交誼は続き、孫文死後、梅屋は孫文像を4体制作、1929年に南京に葬られた際は列席している。北京に留まった宋慶齢とは、日中国交回復後に繋がりが復活した。
梅屋が長崎の出であったことも、影響しているのだろう。頭山満、宮崎滔天など、辛亥革命の人士を支えた日本人は九州が多い。
海外には船で渡るしかなかった時代だが、飛行機の何十倍時間がかかろうとも、海が近いと、その向こうにある世界への想いは高まるのかもしれない。
今回の企画では、梅屋との関わりにおいての紹介なので、貴重な資料は多いけれども、孫文については思ったほど多くはない(梅屋の曾孫である松本楼常務の小坂文乃さんのもとに保存されているアルバムやゆかりの品など)。ただ、この時代の日本と中国、それを取り巻く状況というものが感じ取れるようにはなっていた。
孫文の像といえば、18年前にマカオで孫中山故居で「天下為公」と書かれた台座に立つのを見た覚えがあるけれど、4体のうちの1つだったのだろうか。
平成館の空海は、外まで溢れるとかいうところまではいってないけれども、ひっきりなしに人が吸い込まれていくので、次にいつ行くか考えなくては。
上野まで来たからと、上野御徒町まで出るついでにちょっとそれて、天神下大喜を覗くも、外まで並んでいたので即転針。東京天神うどんはちょっと高いし、ほかのラーメン屋もどうも…。
でも、角で目に留まった「みよし」に入ったら、大して変わらず。(検索したら、大本が天神うどんと一緒のようで)
具入りで高くないほうだった、明太皿うどんにしてみた。

明太子のこの絡まり方は予想外だった。
自分で混ぜなくて済むから楽ではあるが、ネギもそうだけれど、辛みが先に立ってしまって、何かそれを和らげるような感じのタレでもあればいいのにと思う。
大江戸線で新宿方面に向かい、オギワカさんと久しぶりに会う。
鶴岡のだだちゃ豆をおすそ分けに預かった。
うちにいても子供が泣き止まないので、1時間くらい散歩ついでに、と。心地よく揺られたからか、ベビーカーの中は平和な寝顔だった。オギワカさんも、しっかりと母親な雰囲気。
オギワカさんと何カ月ぶりだったのかとあとで確認したら、お誘いして黒森庵にご一緒したのだった(まだ出産前)けれど、それも地震の前のような気がしていたのが、3月20日というのが判る。
あの頃のどこかふわふわとして落ち着かないような感覚を、いま改めて噛みしめてしまう。
革命をプロデュースした日本人/小坂 文乃

¥1785
孫文の辛亥革命を助けた日本人/保阪 正康

¥882
台風12号の影響で空は定まらないが、さほどの雨でもなかったので、歩いていくうち結局上野まで…
藝大の前を通ったら、そうか藝祭なのか。しかし先に歩き回っては時間が無くなるし、ちょうど日が出て暑くなってきていたのでパス。
旧博物館動物園駅の懐かしい入口そばに特別展の立て看板。

香港で写真館を成功させた梅屋庄吉は1895年、孫文と出会って意気投合。「一刻も早く、君は革命の兵を挙げよ。我は財を挙げて支援しよう」と、現在の価値にして1兆とも2兆ともいう資金を提供したのだとか。孫文だけでなく、彼と主張を異にする者、袂を分かった者などでも数多く梅屋が面倒を見ている。
また、孫文と宋慶齢の仲を取り持ったのは梅屋夫妻だった。彼らの交誼は続き、孫文死後、梅屋は孫文像を4体制作、1929年に南京に葬られた際は列席している。北京に留まった宋慶齢とは、日中国交回復後に繋がりが復活した。
梅屋が長崎の出であったことも、影響しているのだろう。頭山満、宮崎滔天など、辛亥革命の人士を支えた日本人は九州が多い。
海外には船で渡るしかなかった時代だが、飛行機の何十倍時間がかかろうとも、海が近いと、その向こうにある世界への想いは高まるのかもしれない。
今回の企画では、梅屋との関わりにおいての紹介なので、貴重な資料は多いけれども、孫文については思ったほど多くはない(梅屋の曾孫である松本楼常務の小坂文乃さんのもとに保存されているアルバムやゆかりの品など)。ただ、この時代の日本と中国、それを取り巻く状況というものが感じ取れるようにはなっていた。
孫文の像といえば、18年前にマカオで孫中山故居で「天下為公」と書かれた台座に立つのを見た覚えがあるけれど、4体のうちの1つだったのだろうか。
平成館の空海は、外まで溢れるとかいうところまではいってないけれども、ひっきりなしに人が吸い込まれていくので、次にいつ行くか考えなくては。
上野まで来たからと、上野御徒町まで出るついでにちょっとそれて、天神下大喜を覗くも、外まで並んでいたので即転針。東京天神うどんはちょっと高いし、ほかのラーメン屋もどうも…。
でも、角で目に留まった「みよし」に入ったら、大して変わらず。(検索したら、大本が天神うどんと一緒のようで)
具入りで高くないほうだった、明太皿うどんにしてみた。

明太子のこの絡まり方は予想外だった。
自分で混ぜなくて済むから楽ではあるが、ネギもそうだけれど、辛みが先に立ってしまって、何かそれを和らげるような感じのタレでもあればいいのにと思う。
大江戸線で新宿方面に向かい、オギワカさんと久しぶりに会う。
鶴岡のだだちゃ豆をおすそ分けに預かった。
うちにいても子供が泣き止まないので、1時間くらい散歩ついでに、と。心地よく揺られたからか、ベビーカーの中は平和な寝顔だった。オギワカさんも、しっかりと母親な雰囲気。
オギワカさんと何カ月ぶりだったのかとあとで確認したら、お誘いして黒森庵にご一緒したのだった(まだ出産前)けれど、それも地震の前のような気がしていたのが、3月20日というのが判る。
あの頃のどこかふわふわとして落ち着かないような感覚を、いま改めて噛みしめてしまう。
革命をプロデュースした日本人/小坂 文乃

¥1785
孫文の辛亥革命を助けた日本人/保阪 正康

¥882