Sujiです。こんにちは。

アメリカは独立記念日。

うちの家族にとっては東京を離れた記念日。

もう30年も前のこと。

 

関係者でもうこの世にいない人も大勢います。

30年前に来た日のことはよく覚えています。

花火が本当に自分たち家族の門出をお祝いしているような気がして、

本当に目の前の景色があれよあれよという間に毎日、変わっていってました。

でもそれは米国に来たから変わったというより、いつから変わったのか

最近になって思い出そうとしていて、

ずっと考えていたんです。

 

つまりいつから心は自由にしていていいんだと思えるようになったのか。

の歴史。

 

読書というのも心が自由な良い時間です。

 

本をたくさん読んでいた時期もありました。

 

近視の間も読んでいたんですが、そこに老眼が発見された40代からガタッと

読書は減りました。

そして、2012年にレーシックのモノビジョンの手術で、

20代の視力に戻ってからは

読み始めていたんですが、

活字で書いてあることを全く信じることができなくなる事件が起きて、

博士課程に行くのももうないかな、という所まで来ていました。

 

一方で映画も大量に見ていましたが

それは高校の時に早稲田大学の近くだったこともあり、

いい映画館がいろいろあって、

家はとりあえず、出るんですが、学校にいかずに映画館に行っていた時期もありました。

都立高校は自由で、出席も殆どとっていない状態でしたし、

授業に出ていないだけで、勉強をしていないわけではなかったので、

さほど、大きな問題にならなかったかもしれませんね。

それに男子が3倍くらい多い学校だったので、

女子など、先生の監視の中に入っていなかったのも良かったかも。

けれども、監視という表現もあてはまらないくらい、自由な感じでしたね。

 

その学校の文化祭で、映画を制作したことがきっかけで、

部長をしていた美術部でも漫研といっしょにアニメをつくり、

それで、一層映画の世界にのめり込んでいく。

けれども、当時の男尊女卑の会社制度の中で、

映画会社に勤めようなどとは考えたりしなかったですね。

チームというのも苦手で、いつか一人で、創れるようになるんじゃないかなと考えていました。

 

それは漫画を小さい頃からよく描いていたので、

漫画を一人で書くように、映画も一人で創れたら、

いいのに。って勝手に思っていたような。

 

だからといって、映画の機材を揃えたりはしていなくて、

ただ、最初は映画館に行って、映画を視ていた。

そしてそのうち、一人で暮らすようになって、ビデオデッキを

揃えていって、レンタルビデオで映画を借りてきて、

借りていたアパートの広いリビングで映画を見るようになっていき、

。。。

 

ずっと自分の幻想の世界にいたのかもしれないですね。

 

ときどき自分の世界について誰かに手紙を書いたりしたこともあったんですが、

誰一人、反対意見を言ってきませんでしたね。

というか。賛成もされていないですが。

爆笑

 

親も友人も、私になにか忠告しても、

耳を貸さないとわかっていたと思います。

世界が違うってわかっていたというか。

 

社会から孤立するようなことはなかったんですが、

自分が間違いだと思っていることを、やる人を絶対に許さなかったですね。

 

そういうふうに自分を少しでも自由にする方向にドアを開いていって、

いきついたのが、カリフォルニアだったんだと今は思います。

 

そろそろ花火があがる時間です。

 

自由な雰囲気をたとえひとときでも楽しみたいと思います。

 

皆様の

心の自由をお祈りしています。

 

SujiQQ