Sujiです。こんにちは。

アメリカはメモリアルデーのホリデーの土曜日で、Sujiもずっとのんびりしていました。

もう、10年前のことなんか覚えていないほど、

色々あった10年でしたが、

こうして無事、またカリフォルニアに戻って生活しているので、

よしとします。

 

10年前のブログとか読むと、自分でどういうふうに書いていいかわからなくて、

題材も色々模索していたのがわかります。

 

でも書いて、納得できることもあるので、それで自分の人生がずいぶん進展したと実感しています。

自分がカリフォルニアで暮らし始めた30年前のこととか、過去になるなんて思ってもみなかった。

一人息子を生んですぐ家族で引っ越したんですが、その子が今年、31歳ですから。

 

Sujiはこの10年の間に、大きな引越を数度しました。

数度じゃないかも。もっとかも。

家族や親戚のもあるので、それもいれると10回はしていますね。

30年前にアメリカに引っ越したときも引越の荷造りに業者の人に来てもらっても2日かかりました。

自分で船を運転して、荷物を運んだわけではないので、海外に引っ越したという実感もありませんでした。

それに実際、東京でのマンションから、カリフォルニアの一軒家に引っ越したので、むしろ家具はアメリカで揃え直しました。

 

そういうふうに引っ越しが相当たくさんあって、

10年前は、父が耳が聞こえなくなったことがきっかけで両親の介護のために東京に一旦戻りました。

一旦戻ったといっても、20年もアメリカにいたので、いろいろなことは変わっていましたし、両親は死んでいく最中でしたから、

両親の荷物を整理(捨てると言いたくないですが、捨てざるを得ないものを有りました。)しないといけない状況に直面しました。

私達がカリフォルニアにいる間もいろいろとサポートしてくれていたので、その間に交わした手紙などもたくさんありました。

両親は私の息子の日本語の維持のためにテレビのビデオ録画を送ってくれていました。20年間、ずっとです。ワンピースやドラえもんをはじめ、2時間のビデオに3倍速で、6時間分 録画して、それが毎週届いていました。

Sujiも毎日、日本に電話していました。

 

いざ帰国してみると、それまでも年に何度も帰国していましたが、それでもわからなかった両親の老いを目の当たりにしました。

あれが10年前かと、今になるとびっくりします。

ブログには介護については殆ど書かないようにしていました。

介護日記のようなものは毎日書いていましたが、それは弟に渡してしまって、いまは手元にはありません。

私の人生はもともと予期しないいろいろなことが次々に起きる人生ではありますが、

両親が眼の前で転倒して、あっという間に歩けなくなる、とか食べることができなくなる、みたいな生活は

感慨にふける暇のない、肉体労働の連続でした。

 

ブログには両親の介護のことは書かない分、それ以前のカリフォルニアでの生活や、それ以前の最初の結婚については

小説というスタイルで描くことを思いついて、かなり、気晴らしになりました。

20年間のシリコンバレーでの生活を全部描き切ることはできなかったのですが、少なくとも、最初の結婚については忘れる前に記すことができたので、息子のために良かったと思います。

それに結果的にはそういうふうに過去を振り返って記したので、次の結婚に話が進んでいったのではないかと思います。

Sujiも10年前は53歳ですから、まあ、もう一度結婚するとか、恋愛するとか 

考えていなかったんですが、30歳の頃の自分の恋愛とか結婚とかを振り返ることで、

それなりに納得できる流れというのはありました。

 

その小説を書き終わって数ヶ月して、再婚話が持ち上がりました。

介護自体は2014年の4月から、2017年の12月あたりまででしたが、ブログを始めたのが、2014年の12月。

小説を書き始めたのが2017年の8月で、数ヶ月して、カリフォルニアに出発のところまではできました。

それが2017年の秋。プロ家庭教師業も復活していたので、その忙しさと、あいまって、2017年には生死の境をさまようような肺炎にもなり、外出は禁止で、PCに向かうのも、できなくなるくらいの大病でした。

その病の間も、いろいろな夢を見て、ずっと戦っていました。

2018年が明けて、すぐ母の施設が南伊豆の風光明媚なところに決まり、

ホッとしていたまさにその時、人生が大きく変わり始めました。

 

というSujiの人生は23になる年に家をでたときから、ずっと変わり続けているのですが。

爆笑。

 

ブログではこういうふうに振り返ることができるから良いのです。

日記のように、記録できるので、良いのです。

 

2014年に東京に戻ったときはカリフォルニアに戻るスケジュールは決めていませんでした。

2018年には介護はほぼ終了していましたが、カリフォルニアに戻るすべは全くありませんでした。

その件は考える暇もなかったので、絶望しませんでしたが、ちょっとでもそういう暇があったら、

絶望していたと思います。

それが2018年の5月にはカリフォルニアにもどったのですから奇跡としか

いいようがありません。

爆笑

 

2018年の5月というのは星を知っている人はわかると思いますが、天王星がおうし座に入ったときです。

結婚するには良くない年でしたが、流れに従ったほうがいいので、そのまま結婚して、やはり離婚になりました。

でもSujiの場合は、結婚離婚が問題だったんじゃなくて、カリフォルニアに戻るかどうかというのが、

人生を動かしていたと思います。だいたいもともとの家具や大事な食器やお仏壇はカリフォルニアにずっとあったのですから。

たぶん、天王星がおうし座をでていく来年、再来年にはまた家具との暮らしが待っているのではないかと思います。

爆笑

 

それに昔のフィルム制作の資料も全部そこに一緒にあるので、

それが全部揃っていくんだと信じてます。

最近になってやっとわかってきたというか、ああ、たぶんそういうことなんだな、というか。

またフィルムの仕事をするんだなと思います。

 

人生はとても不思議です。そして美しい。

 

また今日も頑張って生きてみようと思います。

 

 

 

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