翠邑日誌 

Suiyu’s Diary

榎本翠邑

元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、

元全国書道師範連盟会員、

元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等

での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・

「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。 

東京生まれ。
 

3月

百人一首

86番 西行法師

 

86番 西行法師

 

嘆けとて月やはものを思はする

かこち顔なるわが涙かな 

 

なげけとてつきやは(わ)

ものをおもは(わ)する

かこちがほ(お)なる

わがなみだかな

 

©榎本翠邑書

 

月が私に「嘆けよ」と言って、

私に物思いをさせて

いるんじゃろーか。

いや、そーじゃーない。

この悲しみは愛しい人への

想いなんのに、月のせいに

して涙が流れてくるんじゃよ。

 

この歌は「月前の恋」という

題で詠まれた歌です。

 

出典、所載の歌集は「千載和歌集」

(恋五・929)で、

「「月前の恋」といへる心を詠める」

とあります。

 

月について 


月を見ているとまるで月が

もの思いをさせているのでは

ないかと思えるほど、色々な

思いや考え事、悩みが

浮かび上がってきます。

 

「嘆けとて月やはものを思はする」

「月がもの思いをさせるわけではない」

と詠んでいます。

 

本当は恋のせいだとわかっていのに。

©Japansumiecentre


月を愛し、月の歌を歌ったた西行の、

月の歌は自分の恋を月のせいに

してしまっているのは、自分のつらさを、

月にぶつけた甘えなのでしょうか。

 

西行法師(さいぎょうほうし)は、

23歳の若さで出家、

俗名は佐藤義清。

武士出身で、鳥羽上皇の北面の

武士として鳥羽院に仕えた

過去を持つ人物です。

その後出家し、諸国を

行脚しながら歌を詠み、

歌人としても活躍しました。

 

西行法師

 

1118年生まれ、

父は左衛門尉(さえもんのじょう)

佐藤康清、母は中務省に

属した源清経女でした。

 

父系は藤原魚名(ふじわら の うおな)

藤原北家の藤原房前の子

を祖とする魚名流藤原氏。 

 

祖父の佐藤季清も父の康清も

衛府近衛兵(このえへい)や

近衛(このえ)君主を護衛、

警護、する職に仕えました。

 

西行の祖父の源清経

 

(みなもと の きよつね)については

文武に秀でた人物だったとされて

いる他、考証があります。

 

面白い文が残されています。

 

西行の祖父、源清経と後白河院の遊女

 

西行の祖父である源清経

(みなもと の きよつね)が

13歳の乙前の今様の才能をかい、

自分の女だった師匠の目井に

弟子入させました。

 

清経は目井のパトロンだったのです。

 

これは清経の話を聞いた後白河院が

書き残したものです。

 

後白河院 ©Wiki

 

「清経は目井の世話をしてやった。

女の芸に惚れ込んで、

色香に魅かれたが、今では、

色褪せて近く寄るのも気分がのらず、

女と共寝はするのだが寝ているのが、

あまりうっとうしくて、

空寝をして、後ろむきて寝ている。

 

目井が背中に顔をすり寄せて

瞬きをした睫毛が背中に当り

気持ち悪くなったけれど、

清経はそれを我慢していた。

 

美濃の今様の催しに出かける時は

一緒に行って、また迎えに出

帰りも目井の共をしてやり、

のちに年老いてからは、

食物もあてがい、尼になっても

死ぬまで面倒を見てやった」

 

西行の祖父源清経は優しさと、

責任感があった男だったようです。

 

祖父の代から徳大寺家 

(とくだいじけ)に仕えており、

「古今著聞集」の記述から自らも

15~16歳頃には徳大寺実能に

出仕していたことがうかがえます。

 

徳大寺家の紋 ©Japansumiecentre

 

「長秋記」によると1135年に

左兵衛尉に任ぜられ、さらに

鳥羽院鳥羽天皇(とばてんのう)

に下北面武士(ほくめんのぶし)

としても奉仕していたらしく、

北面武士とは白河法皇が創設

した院の直属軍として、主に

寺社の強訴を防ぐために動員された

上皇の身辺を警衛、あるいは

御幸に供奉した武士のことで

同時期の北面武士に

平清盛がいました。

 

「百錬抄」によると1140年、

23歳で出家して西行法師と号

しています。

 

 

 

©榎本翠邑書

 

 

妻と子供 

 

妻子の存在については

よく分かっていませんが、

子供は

「尊卑分脈」には「権律師隆聖」

という男子があるとあり、

「西行物語絵巻」では娘が

あったと言われています。

 

出家のいわれ

 

友人の急死説

「西行物語絵巻」では、

親しい友の死を理由に北面を

辞したと記されています。

 

失恋説

「源平盛衰記」「西行の物かたり」

には、似通った理由、高貴な

上臈女房と逢瀬を持ったの

ですが「あこぎ」

「押しつけがましい」と 

言われて出家したとあります。

 

 

©榎本翠邑書

 

 

瀬戸内寂聴は「白道」で

鳥羽天皇の皇后待賢門院

(たいけんもんいん)または、

鳥羽天皇の皇后

美福門院びふくもんいん)

説もあるとしています。

 

五味文彦「院政期社会の研究」

では恋の相手を鳥羽天皇の娘

上西門院(じょうさいもんいん)

としています。

 

鳥羽天皇の皇后待賢門院 ©Wiki

 

どちらにしても叶わない恋でした。

出家後は東山、嵯峨、鞍馬

など諸所に草庵を営んだとあり、

30歳頃に陸奥に最初の長旅

に出、その後、1149年前後

に高野山に入りました。

 

1168年には崇徳院の白峯陵

を訪ねるため四国へ

旅をしたています。

 

これは江戸時代に上田秋成

によって「雨月物語」中の一篇

「白峯」として書かれ、

この旅は弘法大師の遺跡巡礼

も兼ねていたようです。

 

高野山に戻り、1180年頃に

伊勢国に移った、東大寺再建の

勧進のため2度目の陸奥行きを

行い奥州藤原氏第3代当主

藤原秀衡(ふじわら の ひでひら)

と面会しています。

 

この後で鎌倉で源頼朝に面会し、

歌道や武道の話をしたことが 

「吾妻鏡」に載っています。

 

伊勢国に数年住まった後、

河内国現在の大阪府にある

弘川寺に庵居し1190年にこの

地で73歳で亡くなりました。

 

「西行物語」

©小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)

 

西行が

「願はくは花の下にて春死なん

そのきさらぎの望月のころ」

と詠んだ歌通り、

桜の季節に逝った西行の、

その生きざまが藤原定家や

慈円の感動と共感を呼び、

当時西行は名声を博しました。

 

西行法師と歌について

 

西行は藤原俊成ともに新古今の

歌風に大きな影響を与えた

歌人でありました。

 

後鳥羽院が西行をことに好んだことは、

「後鳥羽院御口伝」に西行の

歌の評価が書かれています。

 

「長秋記」の1135年頃、

徳大寺公重の菊の会に招かれ、

藤原宗輔(ふじわら の むねすけ)が

献上した菊の歌を詠んでおり、既に

歌人としての評価を得ていたようです。

 

崇徳院歌壇にあって藤原俊成と

交際し、一方で俊恵(しゅんえ)が

主催する歌林苑からの影響をも

受けた思われています。

 

徳大寺家の紋 ©Japansumiecentre

 

出家後は山居や旅行のために歌壇とは

一定の距離があったようですが、

1187年に自歌合「御裳濯河歌合」

また自歌合「宮河歌合」を作って、

当時は一介の新進歌人でしかなかった

藤原定家に作品の評価を願った

ことは特筆に価することでした。

 

その時の二つの歌合はそれぞれ

伊勢神宮の内宮と外宮に

奉納されました。

 

和歌は約2,300首が伝わる勅撰集

では「詞花集」に1首が初出。

 

天皇、上皇の命令によって作られた

公的な歌集勅撰和歌集の第八番目 

「新古今和歌集」には、

最多の94首が載っています。

 

「花」「桜」や「月」を詠んだ

歌が多く作られました。

 

「千載集」に18首、「新古今集」に

94首をはじめとして二十一代集に

計265首が入撰しています。

 

六家集の私家集に「山家集」、

自撰の「山家心中集」、「聞書集」

など、多くの優れた歌を残しました。

 

西行の逸話など

 

西行が後世に与えた影響は極めて

大きく、「撰集抄」「西行物」を

はじめとする「いかにも西行らしい」

説話や伝説が生まれていきました。

 

能「江口」©prtimes

 

例えば能に「江口」があり、

長唄に「時雨西行」があり、 

あるいはごく卑俗な画題として

「富士見西行」があり、江戸時代、

上田秋成によって「雨月物語」

「白峯」の物語として作られ

、各地に「西行の野糞」なる口碑

が残って西行のポピュラーさ

が感じられます。

 

西行と源頼朝

 

西行の性格をかいわ

見れる逸話があります。

 

頼朝が侍だった西行が知っている

弓馬道のことを聞くと、

「一切忘れはてた」

ととぼけたといわれています。

 

西行が頼朝と会い、拝領した

純銀の猫を、そのまま通りすがりの

子供に与えてしまった

と言われています。

 

西行法師 菊池容斎画

 


おしまい

 

ではまた、ごきげんよう。

 

ありがとうございました。

 

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ごこれからもよろしくお願い申し上げます。

 

 

お便りはこちらまで 上田トミ 

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ありがとうございました。

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