翠邑日誌 

Suiyu’s Diary

榎本翠邑

元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、

元全国書道師範連盟会員、

元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等

での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・

「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。 

東京生まれ。
 

 

11月 百人一首 

82 道因法師 

 

82番 道因法師 

 

思ひわびさても命はあるものを

憂きに堪へぬは涙なりけり

 

おもひ(い)わびさても 

いのちはあるものを

うきにたへ(え)ぬは

なみだなりけり

 

 

©榎本翠邑書

 

この和歌は想いに悩む恋の

和歌のひとつとされていますが、

自分自身への人生の哀悼とされ、

二重の意味にとらせている

と伺えます。

 

人生、思い悩んで苦しんで、

絶えてしまうかと思った命

はどうにかあるけれど、

この辛さに耐えられ

なくって涙が流れ,

こぼれ

落ちてくるものよ。

 

 

もう一つの意味

これが「千載集」では恋の

歌になっていますので

 

恋に悩み悲しんでも、

命は長らえているのに、

この辛さに耐えきれずに流れ

落ちるのは涙だけだよ。

 

 

©japansumiecentre

 

どんな耐え難い辛さが訪れ

ようとも、結局は生きて

いかなければならない人間の

生き様を詠んでいるようです。

 

当時、この歌が詠われた

80代でも常人の2倍の人生を

生きてきた藤原 敦頼

(道因法師)の

心情だったのでしょう。

 

 

道因法師(どういんほうし) 

(1090年~1182年頃)

藤原 敦頼

(ふじわら の あつより) 

 

平安時代後期の公家、

歌人、僧でした。

藤原北家勧修寺流、正三位、

藤原惟憲の曾孫であり、

父は治部少輔藤原清孝、

母は長門国守藤原孝範

の娘、そして敦頼には

4人の息子がいました。


若い頃の事績は不明ですが、

右馬助という貢上された

朝廷保有の馬の飼育、調教に

あたった官職などを務めて、

従五位上になりました。

 

 

©榎本翠邑書

 

この頃、敦頼はケチで

有名でした。

右馬助、役所の役人を勤めた

時、部下の馬飼い達に

仕事の報酬を払わなかった為、

葵祭の時、怒った馬飼いに

装束をはぎとられ裸で

逃げ出したという話が

残されています。

 

1172年83才で出家して

比叡山に住み、

法名は道因(どういん)

と称しました。

 

道因法師は90歳の頃にも 

歌会に参加をしていたことが

わかっていますので、

亡くなったのは1182頃 

93才だったと想像できます。

 

©榎本翠邑書

 

歌人としての藤原 敦頼

:道因法師

歌人として歌合に登場する

のは1160年で70才を過ぎて

からでした。

1160-1181年間、数々の

歌合に参加し、自らの歌合

「住吉社歌合」「広田社歌合」

などの社頭歌合も

主催もしています。

 


 千載集以下勅撰集に41首

あり、85俊恵歌林苑の

会衆の一人でした。


歌林苑(かりんえん)とは

下級貴族の集まりで、彼らと

行動することが多く、

85番の俊恵法師らと

大井川に紅葉見物に

出かけています。 

 

「千載和歌集」には初入集で

ありながら20首も

選ばれています。

 

家集は散逸しているので

見ることは出来ません。

 

©japansumiecentre

 

和歌神さま参詣

 

仕事にも歌にも一途で、

競争心が強く、ケチで

有名でした。

 

 数々の歌合に出詠し、

70、80歳になるまで、

よい歌が詠めるようにと

徒歩で京都から和歌の祭神

として信仰されていた大阪の

住吉社に毎月参詣

「秀歌を詠ませ給へ」

と願い続けました。

 

 

そして大規模な歌合を主催し、

その歌を住吉神社に

奉納しています。

 

努力家

 

耳が遠くなっても歌会に 

出て、とくに講師こうじ

と呼ばれた、歌を読み上げる

講師の席の近くに座って、

ひと言も聞き漏らすまいと

耳を傾けていたと

いわれています。

 

©japansumiecentre

 

 

勝ち気

 

歳をとり、歌合で惨敗した時

には、判定に納得できなかった

道因法師は、判者の84番の

藤原清輔に意見書を送り

つけました。

 

死後の逸話

 

敦頼の死後、藤原俊成

(ふじわら の としなり)が

「千載和歌」を撰進していた 

ときのことです。

 

道因法師の和歌への

執着心がことの他熱心だった

ので十八首の歌を入集

させました。

 

 

©榎本翠邑書

 

すると道因が夢の中に現れて

涙を流して喜んだといい、

それを哀れに思った俊成は、

十八首の歌にさらに二首を

加えて二十首にしたと

いうことです。

 

 

ではまた、ごきげんよう。

 

ありがとうございました。

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ごこれからもよろしくお願い申し上げます。

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ありがとうございました。

 

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