翠邑日誌

 

 Suiyu’s 

Diary

 

榎本翠邑

 

元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、

元全国書道師範連盟会員、

元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等

での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・

「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。 

東京生まれ。
 

 

百人一首 80 待賢門院堀河

 

 

9月 百人一首

 80 待賢門院堀河

(たいけんもんいんの

ほりかわ)

 

 

長からむ 心も知らず 黒髪の

乱れて今朝は ものをこそ思へ

 

 

©翠邑 書

 

 

 ながからむ こころもしらず くろかみの

 みだれてけさは ものをこそおもへ

 

昨夜、あなたが、末永く変わらないよ、

なんて言ったけど、そんなこと、

分からないじゃないの。

 

だから今朝、寝起きの黒髪みたいに

私の心が乱れているんだわ。

 

昨夜一晩を一緒に過ごし、

契りを結んだあなたは、

私に末永く心変わりはしないと

おっしゃったけれど、

それが本心かどうかしら、

お別れした今朝は、 

あなたの心をはかりかねて

私の心はこの黒髪のように

心乱れて、いろいろ

物思いにふけってしまうのです

 

©Japansuibokucentre

 

待賢門院堀河は1150年、

崇徳院の命によって編まれた

「久安百首(きゅうあんひゃくしゅ)」

のメンバーに選ばれました。

 

久安百首とは、いくつかの

テーマごとに歌を詠んで合計で

百首にするというものでした。

 

百人一首に採られたのは

そのうちの一首です。

これは男が女に届けてきた歌に対して

返した歌、つまり返歌でした。


題詠なので、待賢門院堀河の

想像歌とも、昔の彼女の体験とも

取れますが、この時期は、

出家していた筈ですから、

乱れるほどの黒髪は

なかったと思われます。

 

「今鏡(いまかがみ)」には

「かやうなる女歌よみは世にいで来た

まはんことかたく侍るべし」と
最上級の賛辞を贈られ、後朝(

きぬぎぬ)の歌と評価されています。

 

妻問婚(つまどいこん)

 

妻問婚とは、結婚しても夫婦一緒に

暮らすのではなく、夫と妻は別居して、

夫が定期的に妻に会いに行く、

そんな結婚スタイルのことを言い、

平安時代には男性が女性の家に行って

一晩を明かすという習慣、という

通い婚(かよいこん)が一般的でした。

 

 

©翠邑 書

 

 

日が暮れたころ男性が女性のもとを訪れ、

一夜をともにし、朝になったら男性は

また自分の家へ帰宅しなければ

なりませんでした。

「男と女が一晩を明かした翌朝で、

男が帰った後で女の許へ「

昨夜はとても幸せだった」と一首詠んで

贈る、という雅な慣習がありました。

それに対して女性からの返信が

来たら交際開始となります。

そして、男女が結婚しても良いかな、

と思ったら、男性が三日続けて

女性の元へ通い、三日目の朝に

結婚の儀式を行いました。

 

待賢門院堀河

 

待賢門院堀河

(たいけんもんいんのほりかわ)

生没年不詳です。

 

神祇伯(じんぎはく)、

源顕仲(みなもとのあきなか)の娘で、

父の神祇伯という職は

天神地祇(てんじんちぎ)朝廷の

宗教行事をつかさどるの祭祀を 

行う官庁の長官でした。

 

姉妹に、歌人の顕仲卿女(重通妾)

(じょうさいもんいんのひょうえ)

大夫典侍(1183–84年頃)

上西門院兵衛がいます。 

 

 

©翠邑 書

 

白河院皇女で斎院を退いた

二条大宮令子内親王に出仕して、

そこでは六条と呼ばれました。

 

前斎院六条

(さきのさいいんのろくじょう)

と呼ばれていた一時期もありました。

 

崇徳院の生母、待賢門院

(たいけんもんいん)

鳥羽院の中宮、璋子

(しょうし/たまこ)に仕えて

堀河と呼ばれ、1142年に

待賢門院璋子も法金剛院

(仁和寺の子院)において出家し

寂しく余生を送りました。

 

堀河も一緒に出家して、生活を

ともにしたといわれています。

 

1145年に女院が亡くなると、

その一周忌が終わるまで他の女房たちと

一緒に法金剛院にこもって院を

しのんでいたと伝えられています。

 

少なくとも一度は結婚したと思われ、

堀河は、子どもを父親のもとに

預けて宮仕えを続けていたと

考えられていますが、

後夫とは死別したようです。

 

 

©Japansuibokucentre

 

 

1150年以降は年代のわかる

資料がなく、いつどこで何歳で

亡くなったのかも不明です。

 

歌人としての待賢門院堀河

 

女房三十六歌仙・中古六歌仙の一人。

院政期歌壇の歌人として、

崇徳院に認められていたらしく、

14人の歌人が詠んだ

「久安(きゅうあん)百首」の

作者の一人です。

 

自撰家集「待賢門院堀河集」

には崇徳院からほととぎすの

歌を10首もいただき、返歌を

せかされた様子が記されています。

 

86番・西行とは歌を通して

親交があり、2人の歌の贈答が

「西行法師集」に見えます。

 

待賢門院の死を悲しみあう

西行との贈答歌や、

彼女の妹である上西門院兵衛

(じょうさいもんいんのひょうえ) 

との姉妹連歌が残っています。

 

1142年仕えていた待賢門院璋子が

仏門に入ると、堀河も同僚の

女房たちとともに出家し、

待賢門院璋子が3年後に

亡くなった時、悲しむ堀河に

西行(86)は歌を送っています。

 

 

©翠邑 書

 

 
《詞書》
待賢門院かくれさせ

おはしましける御あとに
人々またの年の御

はてまで候はれけるに
南面の花散りけるころ 堀河の

局のもとへ申しおくりける

尋ぬとも風のつてにも聞かじかし

 花と散りにし君が行方を
(山家集 中)

 

花のように散ってしまった

あのお方(待賢門院)の行方を

尋ねたのですが、風の便りにも

聞くことができませんでした

 
堀河の返歌

 

吹く風の行方しらするものならば 

花と散るにもおくれざらまし
(山家集 中)

 

吹く風が行方を知らせるのなら
花のように散った主人

(待賢門院)の後を

追ったことでしょうに

 

©Japansuibokucentre


西行の歌集の「山家集」には

ほかにも堀河との
歌のやりとりが記されており、

出家後しばらくは交流が

あったことがわかります。

 

女房三十六歌仙に選ばれ、

「金葉集」以下の勅撰集に

66首入集しています。

 

「今鏡」では

「かやうなる女歌よみは、

世にいて来たまはんこと

かたく侍るべし」

 

(このよう女の歌詠みは、

世に出てくることはめったにない)

といわれる一流歌人でした。

 

堀川が待賢門院を偲ぶ

 

待賢門院堀川は待賢門院が

亡くなった翌年の6月、

待賢門院が出家後住んだ法金剛院を

訪ね、待賢門院をしのんでいます。

 

詞書に

「待賢門院かくれさせ給て後六月十日

比 法金剛院に参りたるに、

庭も梢もしげりあひて、かすかに

人影もせざりけれは、これに住み初め

させ給ひし事など、只今の心ち

して哀つきせぬに、日ぐらしの 

声たえず聞えければ」

 

として

 

「君こふる なげきのしげき 

山里は  ただ日くらしぞ 

ともに鳴きける」

 

 

©Japansuibokucentre

 

 

亡きお方が恋しくて、私は何度も

悲しい溜息をついてしまうわ。

そんな思い出の多すぎる山里に、

人影はなく、いっしょに泣いて

くれる人はいないのよ。

そこには蜩だけが私の泣き声に

合わせてくれるだけね。

 

「玉葉和歌集」)

 

 

待賢門院(たいけんもんいん)の住居

 

京都、花園にある法金剛院は、

平安時代の始め830年頃、

右大臣清原夏野(きよはらなつの)が

この地に山荘を築いたこと

に由来しています。

 

この山荘には、嵯峨天皇や

仁明天皇など多くの天皇が訪れ、

詩歌管弦の宴を催したところです。 

 

1130年に待賢門院

(たいけんもんいん)の住居

として創建されました。

日本最古の

人工滝(滝石組)

 

 

法金剛院の西側には、

鳥羽天皇中宮待賢門院の陵墓と

その皇女上西門院の陵墓、

上西門院花園東陵があり、

浄土式庭園もこの時代に造られ、

1970年の発掘調査で日本最古の

人工滝(滝石組)が見つかったことで

特別名勝の指定を受けています。

 

 

ではまた、ごきげんよう。

 

ありがとうございました。

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ごこれからもよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

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ありがとうございました。

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