翠邑日誌

 Suiyu’s Diary

榎本翠邑

 

元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、

元全国書道師範連盟会員、

元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等

での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・

「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。 

東京生まれ。

 


 

  百人一首 79 左京大夫顕輔

8月 百人一首 

79  左京大夫顕輔

(さきょうのだいぶあきすけ) 

 

秋風にたなびく雲の絶間より

もれいづる月のかげのさやけさ

 

 

あきかぜにたなびくくものたえまより

もれいづるつきのかげのさやけさ

 

 

©榎本翠邑

 

秋風に吹かれてたなびいている

雲の切れ目からこぼれ出た

月の光の、清らかな美しさ

といったら!!絶句だよ!!

 

 

秋の澄みわたった夜空を

秋風に吹かれてたなびいている

雲の絶間から、こぼれ出た

月の光の、なんと清々しい

ことか。秋風が吹いて、

たなびいている雲の切れ間から 

もれ出てくる月の光は、

なんと明るく澄んでいる

ことだろう。

 

秋風に吹かれて横に長く

ひき流れる雲の切れ目から、

洩れてくる月の光の、

澄みきった美しさといったら! 

 

 

©榎本翠邑

 

 

左京大夫顕輔

 

(さきょうのだいぶあきすけ)

(1090~1155)

本名、藤原顕輔

(ふじわらのあきすけ)で

正三位左京太夫にまで

昇進しました。

 

勅撰和歌集の「詞華集」

の撰者です。

 

修理大夫、藤原顕季

(ふじわらのあきすえ)の三男。

 

父の藤原顕季(あきすえ)は

摂関家並みの地位があって、

六条藤家(ろくじょうとうけ)の 

歌道の祖として知られてた

「金葉集」の巻頭を

飾った歌人でした。

 

藤原顕季は堀河、鳥羽、

崇徳、近衛の4代の天皇

に仕えました。

 

 

 

©榎本翠邑

 

1100年1月に白河上皇の

院判官代に任ぜられて以降、

院の近臣として昇進しました。

 

加賀守や中務権大輔を経て、

1118年正四位下に昇しましたが、

1127年讒言により白河院の

勘気を蒙って昇殿を止められて

しまいましたが、白河院崩御の

翌年1130年に関白、

藤原忠通の娘、聖子が崇徳天皇の

中宮になると、中宮亮となり

官界に復帰しました。

 

1137年従三位に叙せられて

公卿に並び、1139年左京大夫に

任じられ、1148年正三位隣、

正三位左京太夫よは京都の

左半分を治める役所の長官

にまで昇進しています。

 

官位は正三位、左京大夫、

六条と言われました。

 

1155年2月、顕輔は花の下に

宴を開き、相伝の「人麿影」を

清輔に譲り、5月7日に

66歳で亡くなりました。

 

 

歌人としての左京大夫顕輔

 

左京大夫顕輔の家族、一族に

歌人が多く、恵まれた和歌環境

にあり、父と親交のあった74番の 

源俊頼から指導を受け、その革新的な

歌風の影響を受けました。

 

後に叙景的表現を特徴とする温雅な

歌風を確立しました。

 

©榎本翠邑

 

六条藤家では古典和歌の

「万葉集」を尊重し、3番の

柿本人麻呂を歌道の神

として敬いました。

 

1118年には、柿本人麿の図像を

祭り歌を献じたのが、史上最初の

「人麿影供」(いとまろえいぐ)の

記録とされています。

 

父の顕季は息子たちの中で最も

歌才に恵まれた顕輔に人麿の肖像と

和歌に関する書物を譲りました。

 

左京大夫顕輔は六条家の後継者

として多くの歌合で作者となり、

77番、崇徳院に歌才を認められて、

判者をつとめ、「詞花集」の

撰者になりました。

 

崇徳上皇から勅撰集撰進の

命を受けて、1151年に「詞花和歌集」

を完成させました。

 

顕輔が撰者となった「詞花集」は、

前の勅撰集「金葉集」との間が

25年しかたっていなかったのため、 

精選したためか415首という

小規模な撰集となりました。

 

 

©Japansuibokucentre

 

格調高い歌から戯(ざ)れ歌まで、

幅広く多くの歌を選んでいます。

 

勅撰集は詩人たちから注目され

ていたため、入集されなかった者

たちからは批判を受けました。

 

「金葉和歌集」(14首)以下の勅撰和歌集

に84首が入集しており家集には

「左京大夫顕輔卿集(顕輔集)」

があり、

「金葉集」以下の勅撰集に84首が

入集しており、家集

「左京大夫顕輔卿集(顕輔集)」

があります。

 

周辺に優れた歌人が多く

1116年の鳥羽殿北面歌合、

六条宰相家歌合や1150年の

「久安百首」など、多数の歌会や

歌合で活躍しました。

1144年、父から六条藤家の象徴である

人麻呂影供(ひとまろえいぐ)

を受け継いでいます。

 

人麿影供(ひとまろえいぐ)

 

この時代は「万葉集」への関心が

高まっていたため、3番の

柿本人麻呂を神のように

尊ぶ傾向がありました。

 

©榎本翠邑

 

ある歌人が常に人麻呂を念じて

いたところ、夢に現れた人麻呂を、

絵師に描かせました。

 

その人麻呂像は白河院の手に

渡り秘蔵されていたのですが、

父の顕季が懇願(こんがん)して

模写し、それを本尊として飾り

供養と歌会を合体したのが

人麿影供(ひとまろえいぐ)です。

 

子から孫へ六条藤家の歌学

(和歌についてのさまざまな知識)

が伝えられ、家の正統な後継者には、

その証として人麿影が

引き継がれていきました。

 

 

ではまた、ごきげんよう。

 

ありがとうございました。

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ごこれからもよろしくお願い申し上げます。

 

 

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ありがとうございました。

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