翠邑日誌 

Suiyu’s Diary

 

榎本翠邑

 

 

元書法展会員、元太玄会会員、元瑞雲会評議員同人、

元全国書道師範連盟会員、

元東京書道教育会会員、英国ではブルネル大学ギャラリー、アルバートホール等

での展示、英国BBCテレビ「天皇」等があり、また「俳画」・「水墨」・

「書」・「花」等の書の担当での出版物があります。 

東京生まれ。
 

 

7月百人一首

78 源 兼昌

 

 

百人一首 78 源 兼昌

 

78番

源 兼昌(みなもと の かねまさ)

 

 

淡路島かよふ千鳥のなく声に

いく夜ねざめぬ須磨の関守

 

あわじしまかようちどりのなくこえに

いくよるねざめぬすまのせきもり

 

 

©翠邑書

 

冬の夜、淡路島から渡ってくる千鳥の

鳴き声で、幾眠りを覚まさレ、

朝を迎えたことだろうかなあ

須磨の関所番人の私

 

 

殺伐とした須磨の地に、海の向こう側の

淡路島から千鳥が渡ってきます。

 

 その寂しい鳴き声に、関守、関所番人が

つい眠りを妨げられて目覚めてしまい、

真夜中に自分の孤独な境遇を思い

起こされてしまいます、関守は都から

派遣されていた官人たちで、通常は

単身赴任の身ですから、思うのは都のことや

都に残した家族や恋人だったでしょう。

 

切なさが感じられます。 

 

 

©japansuibokucentre

 

この歌は「金葉集」冬の部に収載

されたもので、兼昌が初めて

選集作者になった記念の作品です。

 

定家はこの「淡路島」の歌をとても

気に入って本歌取りしています。

 

淡路島は兵庫県の西南部沖瀬戸内海

東部に位置し、日本で最初に生まれた

島といういわれから「国生みの島」とも

呼ばれ、 現代では本州からは

明石海峡大橋を渡って行くことが

でき、観光地としても人気がある島です。

 

 

千鳥は水辺に住む小型の鳥で

ちどり科の小鳥で水辺に群れとなって

住み、哀調を帯びた声で鳴きます。

 

腹、ほおは白く背は暗褐色、足指が

三本で、左右に交差させて歩きます。

群をなして飛び、和歌の世界では、

冬の浜辺を象徴する鳥で、妻や友人を慕って

寂しく鳴くものとされていました。 

 

須磨の関守

須磨は、現在の兵庫県神戸市須磨区で、

摂津国、現在の兵庫県。

 

関守(せきもり)とは、

関所の番人のことです。

 比喩的に人の往来、特に男女の恋の

通い路をはばむものにも使われます。

 

須磨の関は、摂津(畿内)と

播磨(畿外)の境にあり、

古い時代にはあったのですが、

奈良時代の789年に廃止されました。 

 

 

©翠邑書

 

 

以下の歌は源 兼昌の和歌を意識して

作られ淡路島と千鳥が共に扱われています。

 

  旅寝する夢路は絶えぬ須磨の

関かよふ千鳥の暁の声

 

(藤原定家)

 

  淡路島千鳥とわたる声ごとに

言ふかひもなく物ぞかなしき

 

(藤原定家)

 

  淡路島ふきかふすまの浦風に

いくよの千鳥声かよふらん

 

(後鳥羽院)

 

  さ夜千鳥ゆくへをとへば須磨のうら 

関守さます暁のこゑ

 

(後鳥羽院)

 

  これらは源 兼昌の和歌の書き換え、

意識して作ったようです。

 

源兼昌と「源氏物語」

 

兼昌は、「源氏物語」の須磨の巻に

心を打たれ、主人公の光源氏に思いを

寄せていたといわれています。

 

 

 

©翠邑書

 

源氏物語と「須磨」と「千鳥」

源氏物語 第十二巻が「須磨」の巻
 須磨には、

 

いとど心づくしの秋風に、

海はすこし遠けれど、行平中納言の、

関吹き越ゆると言ひけん浦波、

夜々はげにいと近く聞こえて、

またなくあはれなるものは

かかる所の秋なりけり。

 

 恋ひわびてなく音にまがふ浦波は

思ふかたより風や吹くらん

 

(光源氏)

 

 須磨の冬 冬に千鳥が登場する

  例のまどろまれぬ暁の空に、

千鳥いとあはれに鳴く。

 

   友千鳥もろ声に鳴くあかつきは

ひとり寝ざめの床もたのもし

 

(光源氏)

 

 須磨の春 頭の中将が訪ねて

来て歌を唱和

  雲ちかく飛びかふ鶴もそらに見よ

われは春日のくもりなき身ぞ

 

(光源氏)

 

  たづがなき雲居にひとりねをぞ泣くつばさ

並べし友を恋ひつつ

 

(頭中将)

 

 

 

©japansuibokucentre

 

源 兼昌

 

源 兼昌(みなもと の かねまさ)

生没年未詳は、平安時代後期の貴族、

宇多源氏(うだげんじ)と呼ばれる

名門氏族の出身で、歌人。

宇多源氏、美濃介、

源俊輔(としすけ)の次男または3男です。

 

官位は従五位下・皇后宮少進。

 

官位には恵まれず従五位下・

皇后宮少進(しょうじょう)もしくは

大進(だいじょう)までの昇進で、

までの昇進で、役人としては

大成しませんでした。

 

その後1128年に出家して

「兼昌入道」と称しました。

 

没年については不詳ですが1128年まで

は生存していたと思われます。

 

歌人としての源 兼昌

 

1119年の内大臣忠通家歌合などに

出詠しており、堀河院歌壇や76番、

関白藤原忠通を中心とした下部集団

である忠通家 (ただみちけ) 

歌壇で活躍しました。

 

1116年の「堀河次郎百首」

の作者の一人。

 

©翠邑書

 

「金葉和歌集」「詞花和歌集」

「千載和歌集」「新勅撰和歌集」

「新千載和歌集」の勅撰和歌集に

和歌作品が計7首入集しています。

 

「淡路島」の歌は定家がこの歌を

とても気に入っておりました。

 

堀河院歌壇や、76番・関白藤原忠通を

中心とした「忠通家(ただみちけ)歌壇」

と呼ばれる歌人の集団に属して活躍し、

74番・源俊頼らとともに、百首歌

「永久四年百首」に歌を寄せました。

 

1100年~1128年の歌会をはじめ多くの

歌合に出席しましたが、後世での

歌人としての名声は

高くなかったようです。

 

家集は散逸したのか残されておらず、

作品も「金葉集」以下の勅撰集に

7首だけあります。

 

 

ではまた、ごきげんよう。

 

ありがとうございました。

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ごこれからもよろしくお願い申し上げます。

 

 

 

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ありがとうございました。

 

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