昨日、三宮のレストランで、古い教え子とバッタリ出会いもした。

西武庫少年剣友会の10期生でやんちゃで、かなり手を焼いた少年でしたが、

「先生!西武庫の平石です!」と声をかれられて、顔を見るとすぐ分りもした。

「おお、崇平か?」

懐かしく声を交わして、しばらくして隣の喫茶店に移り懐かしく語りもした。

 

 しばし、懐かしい思い出話や近況の話の後、「先日、フト先生のブログが目に留まり、懐かしく読ませていただいています」との事でした。

「そうかい。目に止まったかい!ありがとさん。」

「ところで先生、先日のブログに「何々ドン!」と言われてました。その「ドン!」の解釈ですが?」から彼の思い出話でございもした。

 

 彼が幼いころ、父の実家の鹿児島に帰ると、祖父が焼酎片手で一杯やりながらご機嫌さんで、よく「西南の役」の話が出たらしいのです。

祖父が、胸張って「あのな、明治維新の口火となった「西南の役」は、「西郷ドン!」と「大久保サー!」との闘いじゃった。お前の祖祖父ちゃんは「西南の役」で西郷ドンの軍隊に槍を担いで加わったんじゃ!、西郷ドンたちが、熊本の戦いで負けてな、故郷の城山に帰るとき、我が家の前のそこの道を通って行かれたんじゃ。その時西郷ドンが、「戦はもうここまでじゃ、このへんの者たちは、ここで解散するから家族のもとにもどいやんせ!」と命令を下されたんじゃ!それで、祖祖父ちゃんたちは家の前で西郷ドンに最敬礼して別れられたんじゃ!

そのお陰で、今があるんじゃっど!、西郷ドンの事を忘れたらいかんど!」と、まるで祖父が体験されたような話しぶりでした。」と故郷の思い出を懐かしそうに話してました。

「そこで先生、私も薩摩民族の端くれとしてぜひ知っておきたいんですが、「西郷ドン」と「大久保さー」の「ドン」と「サー」はどこからきてるんでしょうか?どない違うんですか?」との質問でございもした。

 さて、そう改まられるとわたしもチョイと困りもしたが「わしは学者じゃあないから学問的には解らんが、西郷ドンが好きで好きでこの世を去って行った親父の解釈によればじゃけんど「ドン」はその人に対する「尊敬、敬愛」の意味を含んでおり語源は「殿さまの”トノ”」から「ドン」と呼ばれて来ており、「サー」は、「サン」から「サー」と呼ばれている親しさを表現する言葉だと解釈してるがね?」

「なるほど!すると、我々が使える類の言葉じゃあない!」と言うことですね?

「そうじゃね!我々が使ったら、あの世で「西郷ドン」や「大久保サー」が笑われるんと違うかね」

「方言と思って懐かしく聞いておけば良いんでしようかね?」

「そうさ!”なまり懐かし停車場にー”じゃねえ」

この子も年を重ねて来たんじゃなあ!と時の流れを懐かしむ一時でございもした。

 

時計を見ると、1時間15分過ぎていました。

剣道の話は一つも無しで喫茶店を出ました。

20数年前、竹刀の振り方を教えたあの少年と予期せぬ出会いを頂き、懐かしく語らいが出来た一時を、唯々天に感謝の一日でございもした。

 

いくつになっても、故郷は懐かしいものであります!

方言は、故郷の懐かしい「文化遺産」でございますなあ。

                    酔天牛