今や大ブームの御朱印集め

地味な趣味だと思っていましたが、スタンプラリーみたいで、私は若いころから大好きでした。

私が、最初に御朱印をもらったのは、初めて四国八十八か所のお遍路に出かけたときだと思っていましたが、最近、ある雑誌で自分の御朱印コレクションをお見せする機会があり、

改めて古い御朱印帳を引っ張り出してみたら、四国より前に、「秩父三十四観音霊場巡り」で、御朱印をいただいていました。

日付をみたら、なんと昭和!!

でも、当時、母が大病をして、回復したもののちょっとふさぎ込みがちになっていたので、気晴らしをしてほしくて、一緒にでかけたことは覚えています。

病気が再発しないよう祈る気持ちもあったのだと思います。

その数年後に私は、ひとりで四国八十八か所の巡礼に行ったので、もうこのころから霊場巡りに憧れがあって、それで母を誘ったのかもしれません。

埼玉県秩父地方にある「秩父三十四観音霊場」は、実家からは比較的、交通の便もよかったので、ここを選んだのでしょう。

とはいえ秩父には、夏休みとお正月休みに、日帰りで2度行っただけ。
三十四か所中、7か所しか御朱印はもらえていませんが、
のどかな田園風景の中で、母と並んでお弁当を食べたことは覚えています。

お寺に関することも、ほとんど記憶にないけれど、

ネットで調べたら、私が持っている昭和のときのこの霊場の納経帳(御朱印帳)と、ほとんど変わらないものが、最近もアップされていて“変わってない”ことになぜかちょっと安心しました。

でも、改めてこの納経帳を見ていて、最近、発見したことがあります。

裏表紙の内側に、父が毛筆で、私の名前と住所、電話番号を書いてくれていたのです。

(郵便番号は、まだ3桁でした!)

実家に帰ったとき、母の部屋にあった納経帳を確かめたら、母のものにも同じように

母の名前と住所、電話番号を書いた父の文字がありました。

どこかで失くしても届くように…という妻と娘への父の小さな気遣いに、何十年もたってから気づきました。父は数年前に他界したので、もう直接「ありがとう」は言えないけれど、父が書いた、私の名前の文字はとても懐かしく、愛を感じました。

秩父の観音様のご利益か、母はその後、ずっと元気で、現在まで長寿を得ています。

ただ年齢的に、もう自分の足で出かけることは無理なので、

そう遠くない時期に、母の納経帳も一緒も持って、秩父の霊場場を歩いて

残っているお寺の御朱印をいただいてこようと思います。

霊場巡りの御朱印帳は、「全部、埋めないことで、その場所とのご縁がつながる」とよくいわれるのは、こういうことなのでしょうね。

この納経帳と共に、父も一緒に歩いてくれる気がします。