今日は占いの話です。

先月4月に私にとって一番、印象深かったのはフィギュアスケートの浅田真央さんの引退会見でした。最近、以前のような成績を残せなくなっていたので、引退の日が近いことはみんなどこかでわかっていたのかもしれませんが、引退会見は、さわやかで、受け答えも彼女の一生懸命で誠実な言葉が素晴らしく、日本中が沸き立ちましたよね。

いろいろなテレビのコメンテーターの人も口にしていましたが、

それはとても「清らか」で「品の良い」会見でした。

 

浅田真央さんは六十干支でいうと、日干が「癸」(みずのと)の日の生まれです。

「癸」は陰の水の気で、私も「運景」などでは「雨」の気の人として表します。

小さな雨粒は集まって、やがて少しずつ流れを作っていきます。

こんな「癸」の人、「雨」の人の運勢について書くとき、私は必ず

「清らかさが命」と書きます。

そのとき、イメージキャラクターとして心の中にいつも浅田真央さんを思い浮かべていた気がします。

 

一方で、陽の水の気「壬」(みずのえ)は、「海」や「大河」にたとえられます。

実際の海や大河の水が、ときにはさまざまなものを巻き込んでダイナミックに動くように、「壬」の人は、“清濁併せ飲む”的な性質を秘める場合も多いのですが、

「癸」の人は、そうではありません。「癸」は、小さな雨粒が作り出す清流でなければいけないのです。

旅人の渇きを癒す、一杯の美味しい水のように、「癸」の人は、濁りや汚れを感じさせない生き方をしないと運は伸びないのです。

 

と言われても、人間だから、誰でもネガティブな感情はあるし、それは「癸」の人も同じです。でも、人の心には、誰にでも、それを“ろ過”して、浄化するようなシステム、作用あって、それを汚い言葉、汚い行動へとつなげないようにできるはずなのです。

 

真央さんのような「癸」の人にとっては、小さなことを繰り返し積み重ねていくこと、

それが心の浄化作用になります。

 真央さんが高度なジャンプを跳ぶために、繰り返し積み重ねてきた小さな繰り返しが

私には、彼女にとっての心の浄化作用であったように思えてなりません。

「癸」の人は小さなことを積み重ねて大きなことを成すので、彼女のこれまでの成功のジャンプも失敗のジャンプも今後の彼女の道標になるはずです。

 

 占い的な発想で見ると、心を浄化する方法はいろいろあります。

ある人にとっては、旅など未知の世界、広い世界を体験することかもしれないし、

ある人にとっては、座禅などじっと動かないことや静けさに心が洗われることありでしょう。とにかく喋りまくったり、文章など言葉で吐き出すことで心が浄化される人もいます。

あなたも人にあまり迷惑をかめない、何か自分なりの心の浄化方法をみつけると心が楽になって、運気もよくなります。

 

真央さんの話に戻りますね。

彼女が1年休養をした後、現役復帰してからは成績が振るわなかったので、ソチ五輪の後の世界選手権で金メダルをとったところで、スッパリと引退をしたほうがよかったと言う人もいます。でも勝敗のプライドよりも、自分のできることをできるところまでやってみるという高みを目指す真のアスリート魂を燃やす尽くすために、それは必要な時間だったのだと思います。

 

四柱推命でも26歳から運気が大きく変わるので、この時期の引退は、まさに運気の流れ的には、これまでの自分の運気を燃焼し尽くして、しっかりと締めくくっての新しい旅立ちにふさわしいジャストのタイミングです。

 

真央さんが引退会見をした4月11日は天秤座の満月の日でした。

現在、天秤座には幸運と拡大の星の木星がいて、ある意味で、天秤座が最も目立つ日でした。この日が引退会見の日になったのは偶然なのかもしれませんが、日本中、世界中が注目を集めて当然の真央さんの会見にこれほどふさわしい日はありませんでした。

この日の引退会見は、これまでの彼女の頑張りに対する神様の贈り物かもしれません。