万葉線にて(2005年7月25日) | 酔扇鉄道

万葉線にて(2005年7月25日)

今日から数回にわたって、先日7月25日から28日までの3泊4日の鉄道旅を振り返ってみたい。






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一日目、米原駅から北陸本線の敦賀行きに乗り込み、更に敦賀からは金沢行きに乗り換える。そして金沢駅到着後、駅弁を買うなどし、そしてさらに富山行きに乗る。



                  

                倶利伽羅駅

列車は倶利伽羅(くりから)駅に到着。この駅から先はいよいよ富山県になる。1183年5月、木曾の山奥にて反平氏の兵を挙げた源義仲は、この駅近くの倶利伽羅峠にて平氏の大軍を奇襲攻撃で破り、その後北陸路を南下し入京を果たした。


列車は富山行きだが、すぐに富山までは行かず、途中の高岡で下車する。この高岡駅前から出ている路面電車、つまり万葉線に乗るためだ。


JR高岡駅北口近くの観光案内所の女性に「万葉線の乗り場はどこですか?」と聞くも、相手は要領を得ない。そして「路面電車の・・・」とこちらが言いかけると「ああ、電車ならそこを出て左手に見えてます」とのこと。地元の人は万葉線のことを「電車」と呼んでいるのだろうか。





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ここで、万葉線そのものについて簡単に説明をば。


万葉線とは、元々路線の愛称で、万葉集の編者として知られる大伴家持(おおとものやかもち)が、越中(現在の富山県)国司(今で言う知事に相当)として高岡の地に赴任してきたことにちなんで付けられたもの。

高岡市内の「高岡駅前」から、新湊市の「越の潟(こしのかた)」までを結ぶ全長12.8㎞の路線である。



そして、かつてこの路線は加越能(かえつのう)鉄道という会社(現在でもバス事業を行っている)が運営していたが廃止を打ち出したため、富山県や路線のある高岡市・新湊市が検討し、2001年に路面電車存続のため第3セクター方式の会社を設置した(運行開始は2002年)。この時、愛称をそのまま会社名にも採用し、「万葉線株式会社」となった。





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                 高岡駅前

高岡駅前電停では、中新湊(なかしんみなと)行きのデ7000型電車がまもなく発車しようとしていた。平日で昼過ぎの時間帯で、車内の乗客は10名程か。


電車は発車。すると先ほど私より後から乗ってきた初老の男性が私に「米原からずっと一緒やったね」と話しかけてきた。私はちっとも気が付かなかったのだが(笑)。こうして、万葉線での乗り鉄活動は、この方とずっとご一緒することになった。



                  

高岡駅前を出発した電車は、「すえひろーど」と名付けられたアーケード街を通り抜け、。線路はずっと併用軌道、つまり道路の中に線路が走っていて、高岡駅前から広小路までは単線、以降は複線になる。


                 各地の路面電車

車内天井付近には、広告と並んで、全国各地で活躍する路面電車のイラストが掲示されていた。きっと「路面電車サミット」などを通じての交流があるのだろう。


                 併用軌道

さて、先の御仁は、やはり私よりずっと鉄道ファンとしての年季の入った方のようで、現在65歳で既に退職し、この日は宝塚から万葉線に乗るためにやって来たそうだ。とても気さくな方で、この方の半分も生きていない私にもざっくばらんに話しかけて下さる。特に路面電車がお好きなようで、同じ富山県内にある富山地方鉄道はすでに何度も乗っているが、この万葉線は今日が初めてだとか。あと熊本市電もまだ乗ったことが無く、いずれ是非に、とも。・・・私もこのように歳を重ねたいものだ。


この複線区間にある各電停から乗り込んでくる乗客も結構いる。そして我々2人は電車後方にて立ったままで思い思いに写真を撮っていた(笑)。



                  

                 米島口

やがて電車は米島口に差し掛かる。このそばに車庫があり、遠くに猫の顔が描かれた電車が見えた。この「猫電車」は、万葉線存続を願う複数の団体が公募してデザイン化したものだそうだ。



                 専用軌道

そして米島口から先は再び単線で、今度は専用軌道になる。先ほどまではいかにも市街地という感じだったのが、段々路地裏っぽい雰囲気に変わり、家々の合間をくぐるように走り、途中鉄橋も何度か。高岡市から新湊市へ入り、いよいよ港が近づいてくるのが、車窓からも良くわかる。思っていた以上に、沿線の風景は変化に富んでいる。


そしてこの電車は中新湊(なかしんみなと)までなので、ここで一旦下車。これより先の越の潟へは次の電車を待つ必要がある。そこで我々は(実は中新湊に付く頃には乗客は2人だけに)それぞれ350円を払い「乗継証明書(?・名称はうろ覚え)」を運転士から受け取る。次の越の潟行きにはこれを持って乗れば、もう追加の運賃を払う必要はない。万葉線は初乗り料金は大人160円。距離により運賃は上がり、終点・越の潟までなら350円だ。


次の電車を待つ間、先の御仁は周辺を散策に出かけ、私は電停に残った。電停とはいえ、待合室やベンチにジュース類の自販機もちゃんと完備している。ベンチに置かれたままの絵(地元の高校生の忘れ物か)が少し気になりつつも、私は「越中万葉歌」と書かれた掲示が目に留まった。



                 越中万葉歌

万葉線各電停には、こうして大伴家持にちなんだ、地元ゆかりの万葉歌が紹介されている。電停によって違った歌が紹介されていて、中新湊電停には以下の歌があった。



奈呉(なご)の海に 舟しまし貸せ

   

   沖に出でて


波立ち来(く)やと 見て帰り来(こ)む



      (田辺福麻呂  巻十三・四十)



<大意>

奈呉の海(新湊一帯の海のこと)へ出るために、舟をしばらくの間貸して下さい。

沖へ出て、波が立ち寄せてくるかどうかを見て確かめて、そして帰って来たいのです。



掲示によると、これは、都(平城京)から派遣されてきた役人・田辺福麻呂を大伴家持が歓待した際に福麻呂が詠んだものらしい。ずっと奈良の平城京にいた福麻呂は海を見たことがないため、このような歌を作ったのだとか。



                アイトラム

さて、こうしているうちに反対方向、つまり高岡駅前行きの電車がやってきた。新型バリアフリー仕様の「アイトラム」だ。この電車に乗車することはなかったが、実物を見られただけでも良しとしよう。



この後やって来た越の潟行きに我々は乗り込む。やはり立って写真を撮り続ける。車内には他に数名乗客がいたが、終点・越の潟についた時は、またしても乗客は我々だけだった(笑)。



                越の潟

越の潟電停は御覧の通り港に面したところにある。先の御仁は、電停近くのマンホールの蓋に注目していた。そして折り返し高岡駅前行きとなる電車の運転士に「この蓋のデザインは何なのか」と尋ねていた。生憎運転士氏は知らないようであったが、この御仁、全国各地のマンホールの蓋を写真で撮って回るのも趣味らしい。



そしてまた同じ電車に乗って元来た路線を引き返していく。今度はお互いに向かい合って座り、鉄道趣味のことや、私の鉄道旅のことなどを話した。それにしてもこのような出会いがあるとは思いも寄らなかった。もっとも、この御仁曰く、同じ鉄道趣味を持っていそうな人は大体見分けが付くようになってきた、とか。それで私に声をかけてきたらしい(笑)。


・・・いやはや、私はまだ鉄道ファン歴が浅いのだが、こうやって声をかけていただけるとは、なにやらそれだけ鉄道ファンとして成長できた証のようで嬉しかったりする。



万葉の

頃よりあまた

出会いあり

蓋にも気向く

新湊かな



そして高岡駅前に着く。通しで乗れば片道40分余りなのだが、本当にあっという間に感じられた。



私はこの後は富山へ。そして御仁は北陸本線をそのまま引き返し、宝塚に帰られるという。



電車を待つホームでお互いお別れの会釈を交わす。そして先に金沢方面行きの電車がやってきた。電車の中から私に向けてデジカメを向けている。すかさず私もカメラ付き携帯を構える。


お互い名前などは名のらぬまま。もう二度とお目にかかることはない確率の方が高いだろう。しかし、この日、私は鉄道ファンになって良かったとの思いがぐっと湧き上がった。


そして私は遅れてやって来た富山行きに乗り込んだ。





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<一日一Q>

「681系・特急『サンダーバード』(JR西日本)」



                 サンダーバード

北陸本線を移動していると、頻繁にこの列車の通過待ちをすることになる。大阪から出ているため、私にとっては普段から結構よく見かける車輌でもある。これもずっと以前「鉄道チョロQ考察」で取り上げたことがある。確か今年の2月上旬ぐらいだったと思う。