超高齢者にとって、
もう治療することがなくなったとき
患者を安心させる言葉や触れる事(手あて)が何よりの薬になります。
好きな作品
映画『ディア・ドクター』
この映画の主人公伊野はニセ医者なのですが(意外にそこそこの治療できたりするのだ)、
無医村だったところに
ようやく現れた医師(医師免許、ついでに運転免許も持ってないけど)
お年寄りにやさしく、夜間の急な呼び出しにも嫌な顔ひとつせず駆けつけてくれます。
高齢の患者さんの息が止まったとき……
伊野は「◯◯さん、よう頑張ったな」とお爺ちゃんを抱きしめ、背中をトントンと叩き…
で、
喉に詰まってたお鮨のネタの赤貝がペロッと出て無事生還
患者に触れもせず、一瞥するだけだったら、それっきりだったかも知れません。
ニセ医者伊野は
この村の人々にとっては
神様より有り難い存在だった…
はず……。
超高齢者が安心して残りの時間を過ごすには・・・
究極、
このような善意?のニセ医者でもいいから、
相手の顔を見て、
生活を把握して、
訴える些細な事に耳を傾けてくださる人が欲しいです。
長生きは老害ですか?
福祉ってなんですか?
障害者タクシー券てなんですか?
(タクシー券も障害者手帳も使いませんけどね。イヤな顔されるから。タクシー会社、乗務員さんの持ち出しならば気の毒だし。)
高齢者が訴える
イタイ、しんどいは
うんざりですか?
何故、医師になったのですか?
おしえて下さ〜い
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さだまさし「防人の詩」ばりの問いかけ
伊野センセ〜
うちに来てぇぇ〜っ
現在
訪問看護師さんに入ってもらい
ようやく心の安定が…
まだよくわからないけど・・・
私は時折 苦しみについて考えます
誰もが等しく抱いた悲しみについて
生きる苦しみと 老いてゆく悲しみと
病の苦しみと 死にゆく悲しみと
現在の自分と
さだまさし 防人の詩