ビートルズの革命
「赤の時代」「青の時代」

ビートルズ
音楽界だけでなく
旧来の価値観を書換えた
階級社会、人種差別、戦争……
NO!を突き付けた。

(芸能界で生き残るためには…とか関係なく、自分の意見をストレートに言ったのがすごいなぁ。そのぶんマネージャーさんの心労は計り知れない。)


リバプールの労働者階級に生まれた
ジョンとポール

戦後アメリカ兵が駐留し、彼らから最新のレコードが入ってきていた。
「Long Tall Sally 」(のっぽのサリー)
リトル・リチャード
心を射抜いた

ロックンロールに夢中

1960年以降徴兵廃止
1960年時点21歳以下の男子
ジョン・レノン(20)
ポール・マッカートニー(18)
ジョージ・ハリスン(17)





マネージャー




売る戦略として、
広い世代に受け入れられるように
スーツを着て、一曲歌い終わると深々とお辞儀。ペコリ
イメージって大切
ちゃんと指示に従ったんだ…


瞬く間に
大人気
きゃぁ〜!キャ~!!ひぃぃーッ!
女性ファン失神笑い泣き飛び出すハート


ビートルズカツラ売れる(何か変なカツラだった…)
(リンゴ・スターの髪型は画期的だっんじゃなかろうか?どんなに激しく頭を振ろうともキレイにまとまる。フィギュアスケートのハミルカットの先駆けのようだわ)


石頭カタキチの年長者は、
あんな長髪……男か女か判らん!と苦言


ビートルズの唯一の特徴
カバーではなく
自分たちで作詞作曲をした


1963年
イギリス王室のチャリティイベント
ロイヤル・バラエティ・パフォーマンス

ジョン「安い席の皆さんは拍手をしてください。あとの方は宝石指輪ダイヤモンドをジャラジャラ鳴らしてください」
(有名な話しらしいですね)

1964年アメリカ
1966年日本、フィリピン




☆アルゼンチンのTV番組
ビートルズ初の南米訪問
登場したのは…
コピーバンド
「アメリカンビートルズ」
観客は…
あれ??何か違うような…それでも取り敢えず盛り上がっとこ!みたいな感じで微妙でした。



ベトナム戦争真っ只中であったり、来日した時にも歓迎ムードばかりだけでなく
右翼団体が妨害したり8000人体制の警備だったよう。キケンだからホテルに缶詰状態。フィリピンでは命の危険さえも。



やがて
ライブコンサートはやらない方針へ

コンサートを行なわくなったのは、キャ~キャ~歓声がすごくて、誰も音楽を聴いていないから嫌になったと聞いたように思うけど……。他にもいろいろあったんですね。


ライブ活動から開放され自由を満喫するメンバー。


その間 ビートルズは進化を遂げていた
世界同時生中継番組
『アワ・ワールド』
新曲『愛こそはすべて』のレコーディング生中継


インド音楽、クラシック、シュールリアリズム…を取り入れた芸術に進化

歌詞が印刷されている。目が疲れそうな色…



歌詞の一部にドラッグをキメる 隠語だとBBCで放送禁止
アルバム制作時 LSDを使用していたらしい。
ジョン・レノンの表情が……何か変?


ヒッピーブーム

ベトナム戦争終結とともに
ヒッピーブーム消え去る



1967年
ブライアン・エプスタイン(32)死去


アパレルショップ経営
アップル社設立




西側のロック禁止されていたソ連
どうにかしてビートルズの歌を聴きたい!

肋骨レコード(廃棄済のレントゲンをレコードにする)
”ソ連崩壊
ゴルバチョフとロックシンガー”
の回にも出てきた。


ラジオから流れるビートルズの歌、雑音だらけでも聴きたい!
(テレサ・テンの回を思い出した)

ビートルズに憧れエレキギターギターを自分で作ろうとする若者たち

公衆電話の音の増幅装置が必要との噂で
公衆電話破壊される電話

長髪禁止、見つかればドラッグ所持の嫌疑をかけ警察に連行 バリカンで丸刈り。




エストニア
イヴォ・リンナ
『ヘイ・ジュード』
カバー曲(エストニア語で)を歌い、後にプロデビュー。
国民的歌手となりソ連崩壊を導く役割を担う。


アップル社赤字転落
アップルブティック閉店



ビートルズ解散の危機


『Let It Be』
は10年前に亡くなった母親がポールの夢の中に現れて、言った言葉だった。
(↑諸説アリ)
「心配しなくても大丈夫、あるがままに」




1970年
解散


1980年
ジョン・レノン射殺される


ゴルバチョフが書記長となり
ロック解禁


1988年
イヴォ・リンナ
『私はエストニア人』
人々の愛国心と団結を訴える
オリジナル曲、自分自身の曲を歌った。





歌う革命


ソ連崩壊 






2003年
ポール・マッカートニー
ロシアでコンサート
コルビーさんもファンだったようです



2021年
小惑星探査機“ルーシー”(ビートルズの曲に由来)
打ち上げ
著名人の言葉の中に
ビートルズ4人の言葉も刻まれ


地球に回収されるのは
数百年〜数千年先ポーン




1975年
ジョン・レノン 
「僕が気に入らなかったのは僕たちが何かをリードしているという主張だった。60年代は新しい世界を発見しに行く船だった。そしてビートルズはその船の見張り台に立っていただけだ。 

僕たちが何に貢献して何に貢献しなかったか僕にはわからない。人それぞれビートルズから受けた影響の度合いは違うだろうしね。」
  


現在70歳前後のミュージシャンのほとんどはビートルズの影響を受けてるでしょうね。
ジョン・レノンはそれを知らずに亡くなってしまっているから……。


ビートルズファンの方にとっては
物足りない、あれ?違う……とか思われる内容だったのかも知れませんが、ほとんど知らない私にとっては、貴重な映像と興味深い内容でした。







◆◇余談◇◆

ビートルズを初めて聴いたのは
『イエスタデイ』だったはず。(既に解散しているグループとも知らなかった)
いい歌だなぁと思った事はおぼえています。

中学生の頃、大学生の青年が病気で亡くなる実話をもとにしたドラマで『レット・イット・ビー』が流れ……ドラマと相まって泣けました。
それからLPレコードを買ったように思います。
ドラマは1980年11月13日放送
『我が子よ、永遠に!!』
(金田賢一さん、三國連太郎さん出演)

これから一ヶ月足らずでジョン・レノンが……。




他に
『ヘイ・ジュード』は好きなんだけど、最後の方のBetter Better Better……
からボリュームを絞って聴いてました。